愛姉妹 〜二人の果実〜
まさかいないとは思うが、この俺が聖人君子で18禁のゲームなどやらないと思っているとしたら、速やかに認識を改めるべきである。
実際の俺はそんな蕩けそうなほど甘い認識とは180度逆転した人物である。
俺の本性は「エロゲー大魔王」なのである。
さて、普通の感動系のゲームは、それはそれでいいが、俺にとっては所詮そこまで止まりである。
まあ、敢えて槍玉に挙げさせていただくとしよう。
「ONE」、「Kanon」、「フォークソング」、「ホワイトアルバム」。
ここに今あげたゲームは、どれもそれなりに面白かったと認識できるゲームで、且つ、感動形の甘いシナリオを誇るものだ。
それはそれでいいとしても、俺にとってはやはりどれも不完全燃焼のゲームであることは確かだ。
誤解しないで頂きたいが、決して「つまらなかった」とも、「性に合わない」と言っている訳でもない。
繰り返して確認するがどれも面白かったし、感動したものがあるのも確かだ。
だが、ゲームを終えて、何かすっきりしないものが残ったのも確かなのである。
その正体は勿論分りきったことで、「所詮はバーチャル」という部分に尽きる。
それが悪い事だと言うつもりはまるでない。
ただ単純に、俺がすっきりしないだけである。
簡単に言うとこれらのゲームは「ゲーム世界の設定が奇抜」なだけであって、登場するヒロイン達は生身の、そこらへんの女性と何も変わらないのだ。
それならば実際に女性と関り合い、実際に恋愛すればそれで済む、と俺は思う。
エロゲーをプレイする以上、男たるもの、やっぱ夢見たいじゃん。
で、その夢を見せてくれるゲームっていうと、俺にとってはやっぱり「鬼畜系」になるわけである。
「ランス」、「警備員」、「夜勤病棟」。
数ある鬼畜系の作品の中でも一際光彩陸離たる傑作こそ、俺が「地上最強の18禁」と仰ぎ、敬意を表して止まない歴史的超名作、「愛姉妹 〜二人の果実〜」なのである。
このゲーム、何が素晴らしいかといって、主人公がなんとも言えず素晴らしい。
たとえば、あなたが鬼畜道まっしぐらに突っ走らなければならないとして、鬼になり切れる自信はあるだろうか?
俺は「自信は全くない!」と断言できる。
目の前に、抵抗することもできない弱者たる女性が、怯え切った目でこちらを見ていたら、俺はどうしたって鬼にはなりきれない。
「だから、鬼畜を遠慮なくバーチャルで楽しむことができる鬼畜系は素晴らしい」などと単純なことを言うつもりはない。
むしろ全く逆である。
鬼畜系ゲームの醍醐味「嫌がる相手を無理やりモノにする」を、「愛姉妹 〜二人の果実〜」はさらに一歩突き詰めて、究極の鬼畜道を体現しているのが素晴らしい。
なんと、この主人公は、最後まで鬼にはなり切れないのである。
小悪党、と言えばしっくり来るだろう。
そう、これは「俺がその状況に置かれたら」ということを考えたとき、極めて重要なことなのだ。
感情移入、と言えば解りやすいかもしれない。
主人公は、まさに俺の分身として捕らえることができるのだ。
これほど魅力的な主人公が過去、いただろうか。
感動系ゲームの主人公達は、揃いも揃って、優しくてお人よしで、その上妙に状況に流されやすく、どうしても感情移入の対象にはならなかった。
だが、この主人公は違う。
自らの選択で鬼畜の世界に足を踏み入れ、そして自分の限界を知るのだ。
俺がその立場だったらという想像をしたとき、俺は彼と同じように自分の限界を知るだろう。
そして、鬼になり切れない自分を、改めて知ることになるだろう。
そこには、「選択肢によってストーリーが変化する」などと言う生易しいお題目は存在しない。
なぜなら、彼は俺自身であり、俺は彼自身だからだ。
そして、そんな主人公の手に落ちていくヒロイン達も素晴らしい。
見え見えの罠に掛かって主人公の毒牙にかかる彼女達は、自らの意思とは逆に、快楽を覚えた肉体に導かれるまま、堕ち果てる所まで堕ちていくのだ。
嫌悪感を露にしていたヒロイン達も、やがて肉欲の虜と成り果てて、自ら主人公を求めて快楽の泥沼へと沈んでいく。
この圧倒的な肉欲への解釈、男子の本懐とはこのことではないか!!!
頭を冷やして考えてみると、誰でも、こんな女性はいるわけがないことに気がつくだろう。
それでいいのだ。
なぜなら、主人公になりきった俺は、その間だけは確かに「夢」を見ているのだから。
決して現実にいる筈もない女性達、そしてごくありふれた存在の主人公。
そう、このゲームは、「夢」を与えるゲームだったのだ。
ただの「鬼畜系」ゲームであるはすがないのだ。
恋愛などという実際に経験可能なものではなく、男が持つ、奥深くに眠るリビドーを直撃する、夢を見せるためのゲーム、それが「愛姉妹 〜二人の果実〜」なのだ。