装甲騎兵ボトムズ


「ボトムズ」という単語は、作品の中に一度しか登場しない。
それは主役メカの事でもなければ、主人公の事でもない。
「最低野郎」という意味を込めて、戦争でメカを操る奴らを揶揄する表現なのだ。

この作品の主題歌には、メカの名前も、タイトルも、主人公の名前も、アニメの内容と関係するものは一切出てこない。
だが、歌詞の内容が世界観を、何よりも雄弁に語っているのだ。
ドライで、ハードで、ストイックな戦争アニメ。
それがボトムズなのである。

そもそも、このアニメを監督した高橋良輔氏はミリタリー思考を極限まで追求していく傾向がある。
この作品の前の「太陽の牙ダグラム」然り、最近の「ガサラキ」然り。
つまりは、凝り性といっても良いかもしれない。
ボトムズでも、その世界観を構築する上で、戦争と関わっていく人間の描写を丹念に描き出し、また、メカの描写にも最大限の注意を傾注して、圧倒的な迫力を見せ付けている。
何しろ、主人公は決まったメカに乗ることがない。
部品を集めて組み立てたり、敵から奪ったり。
これほどまでにメカを「兵器」と割り切った作品は、他には見当たらない。
画面からはオイル臭が漂い、必然的に「戦争」を感じさせる。
主人公のキリコはあくまでもクールに描き出され、彼を取り巻く人々の個性と対極を成している。
軍人としての主人公に拘っているからだ。
また、ボトムズの真の主役として「神の代理人」とも言える謎の男・ロッチナを配役することで、物語を第三者的に見せる事も忘れない。
戦争による退廃した世界観も、実に見事だ。
あくまで「戦時下」という特殊な状況を演出する事に拘る。
人間的な心をどこかに置き忘れた世界観、それこそ高橋監督の名人芸による演出だった。
そしてそれは、物語の真の目的を隠すための、巧妙な仕掛けだったのである。

キリコは、ある施設で「PS」と呼ばれる特殊な人間と遭遇する。
これこそ運命の出会いであり、ヒロイン・フィアナの登場シーンだった。
二人は様々な紆余曲折を経て、やがては行動を共にするようになり、そして互いを愛するようになっていく。
やがてキリコがあまりにも特殊な存在(異能者)である事が判明しても、その愛は普遍のものだ。
そう、ボトムズとは、愛し合う男と女の物語だったのだ。

最後の瞬間、キリコは今までの自分と決別するように微笑む。
始めて人を愛したものだけが得られる、安らぎの微笑だった。
それを見たとき、始めて悟った。
ああ、高橋監督の仕掛けた罠に掛かっていた、と。
敢えて殺伐とした世界観を演出する事で、二人の愛が浮き彫りになっていく、その演出にまんまと引っかかっていたのである。
高橋監督の一番描きたかったものとは、キリコの人間的な復活と、それを裏付けるフィアナとの愛情の物語だったのである。

高橋監督は、紛れも無く一級のストーリーテラーだった。
あの退廃的で、ハードで、ドライで、重厚な世界観の全てが、二人の愛情物語のために用意された周到な罠だったのである。
はっきり言って脱帽した。
どうやら俺の知る限り、高橋という苗字には、達人が多いようだ。

とはいえ、高橋監督の描き出した極上の「戦時下」は、不滅のものだ。
結局俺は、この世界の退廃が好きなようだ。
最後に甘いハッピーエンドが待っていると分かっていて、俺はこの退廃ぶりを味わう極上の楽しみに、今日も心を酔わせるのであった・・・。


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