ダーウィン4078
「進化」とはなにか。
「退化」とはなにか。
そして「突然変異」とはなにか。
これらの要素がシューティングゲームと結合した時、どのような演出が可能になるか。
このレア度120%のゲームが挑んだのが、そういったテーマであった。
パワーアップに合理性を求める結果として生まれたこの試み、あの「グラディウス」と同じ年に生まれた事に今は驚愕せざるを得ない。
パワーアップという物がシューティングのメインになってからというもの、各社が取り組んだ課題は「いかにパワーアップにもっともらしい説明を与えるか」という事であった。
更に、この説明が「ゲームの持つ面白さ」にマッチングしていなければならない。
このゲームが偉大というか野心的であった点は、このパワーアップを「進化」という言葉で表した所にある。
「進化」と一言で言えば簡単だが、パワーアップの合理性をこの言葉に目をつけたところは賞賛に値するだろう。
自機はその名の通りに「進化」していく。
敵を倒す事で得られるユニットを奪う事によって、1段階ずつ強い機体に進化していくのだ。
だが、時間が経過すると遺伝子崩壊を起こして「退化」してしまう。
これを防ぐにはどんどんユニットを奪って「進化」状態を維持するしかない。
更に、特定の段階まで進化した機体が退化してしまうと、次にユニットを奪って進化したとき、「突然変異」を起こす可能性もある。
変種であるだけにその機体は反則的に強いのだが、同じに寿命も短く、子孫も劣等になるということで、時間切れを起こすと一番始めの形態に戻ってしまうのである。
また、1段階でも「進化」している形態であれば、敵の弾を受けた時は死なずに最初の段階まで退化するだけで防げる。
見た目の演出が実に優秀で、単純なパワーアップを本当に進化しているように見せている所が素晴らしかった。
まさに、演出系シューティングの最優秀作だったと言っても過言ではないだろう。
このゲームを筆頭に、演出系シューティングは基本的に秀作が多かった。
ゲームをやっているときに「弾を避ける」「弾を撃つ」「アイテムを取る」、こういった作業を単純作業ではなく、ドラマ性を持たせる事に成功していたのである。
シューティング全盛時代が存在した事も、確かに頷ける。
今、ゲームセンターに細々と残るゲームに、俺はこういった演出系の魅力を感じない。
それは最早、各社がシューティングゲームに利益を求めていないからであろう。
今のシューティングは、、各社がユーザーに対して「お情け」で与えているような感覚だ。
シューティングの好きな人、テキトーにこれで弾避けして遊んでなさい、そんな声が聞こえてくる。
こんな時代からシューティング全盛時代を振り返ると、やはりこう思わざるを得ない。
「嗚呼、昔は良かった・・・」