ドルアーガの塔


ゲーセンがまだ「不良の溜まり場」と言われていた時代。
カツアゲ、喧嘩、万引、そう言ったものの温床だった時代。
ゲームセンターではテスト勉強よりも必死になってある謎解きに熱中する不良どもの姿があった。

「あのよー、17階の宝の出しかがわかんねーんだけどサ」
「ああ、アレはなー、アレをこーしてどーして・・・」

こんな会話を、俺と同年代の人はしたことがあるのではないだろうか?
これが「ドルアーガの塔」の伝説であった。
主人公である「ギル」を操り、囚われた彼女を救う為に全部で60階ある塔を昇り詰め、塔の頂上にいる悪魔、「ドルアーガ」を打倒する。
ゲームのコンセプトは至って単純である。
だが、このゲームには恐るべき野心が隠されていたのだ。

このゲームは、当時ゲーセンではタブーとされていた「宝の出し方」という「謎」を効率良くゲームに組み込み、それをプレイヤーに処理させることを要求したのである。
始めてプレイしたときは、勿論そんなことは分らない。
なす術も無く敵にやられてしまうのだ。
しかし、回を追うごとにコツが飲み込め、やがて「1階でも上へ行く」という事が目的となってくる。
ただし、各階にある宝を覚え、その出し方までも記憶しながらゲームするのは大変なことだ。
そこで、「単語暗記帖」が大活躍する。
60枚の紙を繋ぎ、1階ごとにそれをめくりながらゲームする。
当時のゲーセンでは良く見られた光景である。

このゲームが凄い所は、当時としては画期的な「マルチメディア展開」を狙った所にある。
当時、ゲーム雑誌と言えば「コンプティーク」であった。
また、「ゲーメスト」が新興勢力として力を伸ばしつつあった。
ナムコはこれらの雑誌に、意図的に「宝の出し方とその種類」の情報を小出しにしていったのである。
当然、ゲーマー達はその情報が欲しくて飛びつくことになる。
結果、雑誌の売れ行きも上昇し、ナムコの狙ったマルチメディア展開は大成功を収める。
そしてファミコンへの移植。
これが決定打となって、ナムコはゲーセンの巨大企業としての不動の地位を手に入れたのだ。

今考えてみると、この試みは重要な意味を持っている。
当然、ゲーセンに収容できる人数には限界が来る。
また、ゲームの種類も限られていた当時はユーザーの年齢層も限られており、ある意味でゲームセンターは飽和状態を迎えていたのだ。
新たな客層を狙うのは企業としては当然のことであり、その試みとして「マルチメディア展開」は非常に有効だったと言える。

時が流れ、ゲームセンターにおける主導権が格闘ゲームになり、更に音ゲーとなった今。
今「ゲームセンターは不良の溜まり場」などという評価はもう無い。
これは全て、「ドルアーガ」が切り開いた道なのだ。
このゲームがゲーセンに新たな可能性を与えたことを、我々は忘れてはならない。
今、ゲームセンターが正当な評価を受けている理由は、「ドルアーガ」が連れてきた新たな「血」をもつ客層のおかげなのだ。

ゲーセンがじめじめと湿っていた頃、そこからの一大飛躍を促したきっかけ。
「ドルアーガの塔」は、そう言うゲームだったのだ。


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