ファンタジー・ゾーン


ゲームセンターにおけるシューティングの魅力とは一体なんだろうか。
それは、一概に言ってリアルな設定と、魅力的な自機のメカニズムにあったと言って良いだろう。
シュートゲーマーの夢は、自らがゲーム中の機体に乗り込んで敵をやっつけていくことだった。
その方向性に各社は必死で応え、良質なゲームを次々と生み出していったのであるが、ここにその方向性と180度違うものを提出したものがあった。
軽快な音楽、曲線主体で作られた可愛いキャラ、軽くポップな背景。
重厚さを主体としてきたシューティングゲームに、軽くポップな要素をふんだんに詰め込んだ名作こそ、今回取り上げる「ファンタジー・ゾーン」であった。

このゲームの特徴は、「機体」という概念を大幅に削減し、「キャラクター」としての存在感を前面に押し出したところにある。
世界観はファンタジーを基調に組み立てられ、敵もメカであるのではなく、あくまでもキャラクターであった。
よって、敵を倒すことで「お金」が自分に入ってくるという斬新な設定が、極めて説得力を持っていたのだ。
RPG的な演出を狙ったシューティングと言って良いだろう。
このお金がある値段まで到達すると、ショップという安全地帯に潜り込むことが出来る。
ここで、自分をパワーアップさせるアイテムを買い揃えることが出来るようになるのだ。
こうして自分を強化していき、ステージをクリアしていくと、ラスボスは何と身体を乗っ取られた自分の父親。
最早シューティングではなく、完全にRPGの世界観であることがハッキリする。

特筆すべきは、これだけシューティング的要素を削減していながら、シューティングの持つ魅力は些かも損なわれていなかった点にある。
何故ならば、このゲームにおけるこれらの世界観、キャラ的設定などは、全て「シューティングであること」を逆に際立たせるための演出だったからである。
開発陣がこのゲームにおいて一番主張したかったものは、シューティングには無限の可能性があるということだったのだ。
そのために、彼等は敢えて世界観を斬新なものに設定し、際立たせたのだ。
結局、この逆照射は極めて異例の成功を残し、ユーザー達はこのゲームの虜になった。
また忘れてはいけないのが、このゲームの世界観の完成度が非常に高かったことだ。
単純にアンチテーゼとしてではなく、あくまでも新たなる可能性を引き出すために全力を注いだ結果である事は明白であろう。
開発コンセプトの勝利であった。

存分に練り込まれた設定の上で、あくまでもシューティングであることに拘って開発されたこのゲームには、シューティング全盛時代の魅力がぎっしりと込められている。
弾を撃つ、敵を墜とす、パワーアップアイテムをとる。
これらの作業が単純になってはいけない、というのはどの会社であれ分かっていた事ではあったろう。
しかし、そこで逆転の発想をしてのけたこのセガというメーカーの凄みは、この後も高いキャラクター性を持ったゲームたちに受け継がれてゆくことになる。

このゲームを境に、シューティングは少しずつ下り坂に入る。
必要以上に上がり始めた難易度、増えつづける敵の弾、ゲームとしての魅力より、ゲーマーの力量を問い始めるゲームが徐々にゲーセンを席巻し始める。
新たな挑戦はそこには無く、多くのユーザーがシューティングを去っていく。
可能性の限界に挑むことを止めた時、業界のエネルギーは衰退していったのだ。

ゲーセンが新たな可能性に満ちていた時代の申し子、それがこのファンタジー・ゾーンだった。
限界に挑んだ者達の忘れ得ぬ記憶。
技術ではなく、魂の結晶だったのだ。
一シュートゲーマーとして、この魂を改めて主張する義務があると思い、言及した次第である。


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