あしたのジョー


現在、命を燃焼し尽くして生きることは、あまり意味の無いことだとされている。
燃え尽きて、全力で激しく生きても、得られる物がないからだろう。
そんな人生も悪いものじゃないのは分っている。
何か一つに賭けて生きるより、楽しいことを幾つも持って、面白おかしく暮らすのも悪いもんじゃない。
けど、それで良いのか?男として。

「真っ白に燃え尽きた・・・。」
人生が終わったとき、そう思えることは無上の幸せのような気がする。
全てが終わって、後には激しく生きた証として、真っ白な灰だけが残る。
男なら、誰でもきっと憧れているんじゃないだろうか、そういう人生に。
短くても充実した生き方を貫き通したとき、男の人生はこの上なく眩しく光り輝くのではないだろうか。
「あしたのジョー」という作品を読み帰す度、俺はそんな感慨にふけってしまう。
勿論それがボクシングである必要はない。
自分が賭けた道であるなら、その中で完全燃焼したいと俺は思う。

「あしたのジョー」が見せた男の生き様という、あまりにも抽象的なもの。
その結論として、満足げなジョーの、真っ白な寝顔がラストに登場することは、最早誰でも知っている。
男として、一匹のオスとして、戦い尽くして生き抜いた誇りがそこにはある。
ここまでは誰でも知っていることだが、俺はやや穿った見方をしている。
その理由は、最後から逆算して4〜5ページ目の、ほんのちょっとした会話の中に凝縮されている。

白木葉子(しらき・ようこ)。
ジョーと力石を結ぶ、運命の女性である。
ボクシングの魔性に魅入られ、ジョーの野生の闘いに魅入られて、その身を捧げたヒロインである。
彼女は一貫して「嫌な女」的な描かれ方をしているのだが、その表面とは裏腹に実に繊細な神経の持ち主であることは、一読した者なら誰でも知っているだろう。
ジョーの最後の闘い、世界チャンプ:ホセ・メンドーサとの闘いに赴くとき、葉子は必死でショーを説得する。
ジョーは重度のパンチドランカーであり、戦うのは不可能だ、と。
その説得を受け入れないジョーに、葉子は自分の素直な感情を伝える。
彼女はジョーを愛していた。
だから、その人を廃人にすることはできない。
涙を流し、訴えかける彼女に、ジョーは一言だけ答える。
「リングには、世界一の男ホセ・メンドーサが俺を待っている・・・。」
そしてジョーは葉子を振り切って、闘いの場へと赴くのである。

男なら、一度はこんなカッコ良すぎる台詞を言ってみたいものだが、この際はあまり関係ないので話を続けよう。
結局、葉子はジョーにふられたことになるわけだが、果たしてそんな単純に決めつけて良いだろうか?
ここで、二人の行動原理にまで遡ってみたい。

ジョーは単純である。闘いたいのだ。
闘って、そして充実したいのだ。
間違えてはならないのは、ジョーは世界チャンプになりたかった訳ではない、ということだ。
ジョーは、チャンピオンがホセ・メンドーサという怪物だからこそ戦いたかったのだ。
強い相手だから戦う。
ジョーの行動原理はそれに尽きる。
一方、葉子の方は複雑かというと、そんなことはない。
葉子はジムのオーナーであると同時に、興行主、つまりプロモーターでもある。
若いながらも辣腕な彼女は、その権限を存分に振るって、ジョーの為に戦う場を提供するのだ。
言い過ぎではない。
彼女がジョーに与えた闘いは、どれもジョーにとってのターニング・ポイントとなっているのだ。
彼女がどれほどジョーを良く理解していたか、このことだけでもよく分る。
白木葉子は、「ジョーに闘わせる」事を、その行動原理にしているのである。
そしてジョーは、そのことにうすうす気が付いていたと思われるのである。

葉子がジョーを愛していたことは、彼女自身の証言(?)からも明らかだが、ジョーのほうは彼女に対して好意を持っているように描かれている場面はない。
むしろ、「ロクでもない」という表現に近いイメージを持っているように描かれている。
果たしてそれは本音だろうか?
私は断じて違う、と思う。
ジョーは、戦うことを「男同士の語らい」と位置付けている。
葉子に対して何かときつくあたるのは、「男の語らい」に女が絡むことを嫌うその性癖ゆえであろう。
公衆の面前で水をぶっ掛けたり、面会を望む彼女に居留守まで使ったり、それは全て男の語らいを邪魔するなという、ジョーの無言のジェスチュアなのだ。
だが、果たしてジョーは彼女を嫌っていたのだろうか?
最後の闘い、激しかった打ち合いが終わり、判定が下ろうとしているとき、ジョーは葉子に言う。
「あんたに、もらってほしいんだ・・・。」
そう言って差し出されてものは、ジョーのグローブ。
ジョーは、自らが「生きた証」を、葉子に託そうとした。
これが「愛」でなくてなんであろうか!!

ホセ・メンドーサとの試合も終盤に差し掛かった頃、葉子はリングサイドへ駆け寄って、ジョーに言う。
「最後までしっかりと見届けさせてもらうわ!」
この一言が、彼女にとってどれだけ大きな決意を秘めているか、分ってもらえるだろうか。
彼女はいつも逃げようとしていた。
血みどろになって闘うジョーの姿から、目を逸らそうとしていたのだ。
自らが提供した闘いでありながら、彼女はそれに背を向けようとしていた。
その彼女が、最愛の人が最後の命を燃やし尽くそうとしている姿を、最後まで見届けようとしている。
きっと、ジョーは悟っただろう。
彼女の本当の望みを。
彼女はジョーと、魂から語り合いたかったのだ。
できることなら殴り合い、血を吹かせてでも、ジョーと語り、分かり合いたかったのだ。
だが、彼女は女であるが故にそれができない。
だから、様々な手段でジョーの闘いに介入しようとしていた。
本当にジョーがそう考えたのなら、ジョーはどうするだろうか。どう考え、どう感じるだろうか。
最後の最後で、彼女とジョーの魂は、本当に分かり合えたのだと俺は確信している。
それこそが、二人の「愛」の形なのだ。

「あしたのジョー」という作品は、不器用に愛し合った、男と女の物語でもあるのだ。
それが、どんな形であれ最後に結ばれたことは、本人達にとっては幸福であったろう。
愛することは、魂のぶつかり合いでもある。
二人の生きた航跡は、そんなことまで再確認させてくれる。

「あしたのジョー」の「あした」とは、この作品から何かを感じ取った者たちの「あした」なのだ。


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