メギドの日

自堕落適当攻撃的日記。
上が旧くて下が新しいヤツです。


2002年 4月 12日

緊急更新です。
朗報に類するものです。

「青少年有害社会環境対策基本法案」が、今国会では成立見送りになりました!!
取り敢えずは一安心と言ったところです。
我々反対派のまずは勝利、と言えそうです。

しかしながら、まだまだ気を抜く事は出来ません。
なぜかといいますと、簡単に言えばこの法案は「廃棄」された訳ではないからです、あくまで「見送り」、推進派の連中はまだまだ成立を諦めておりません。
当分の間、動向を監視し続けることが肝腎ですね。

今後の展開としては、所謂「メディア規制三法案」の済崩し的な成立を狙ってくると思われます。
特に、今国会で成立が見込まれる「個人情報法案」の成立がなれば、これを隠れ蓑にして、推進派が水面下で動く可能性が充分に考えられます。
つまり、下手をすれば推進派に出し抜かれる可能性もある訳です。
穿ち過ぎと言われるかもしれませんが、その為に順次成立を狙った可能性だって否定できません。

これを防ぐには、

1:個人的な反対宣言を行う。特にサイトマスターは明言する。

2:1で上がった反対宣言を有機的に連鎖し、横の連携を強めて「連合」する。

3:定期的に協議会などを開き法案の脅威を再確認する、時間経過で忘れたりしないようにする配慮である。

と言った手段が必要になるかと思われます。

そういった訳で、この法案に関して最も早く、また最も真剣に取り組んでいると思われるサイトさんに、ここで新ためてリンク致します。
法案関連コラムリンクの「無題」さんも含めて、法案関連で少しでもご興味のある方、是非訪れて下さい。

ROSF

 

今回の「見送り」で一番怖いのが、反対派が胸を撫で下ろし、これで終わりだと思っちゃうことでしょう。
当然ですが、「終わり」なんかでは断じてありません。
これからです。
これからが大事なんです。

気を抜かず、このような暴挙を粉砕すべく、効果的な運動の道を模索していきましょう。


2002年 4月 23日

幸・ザ・ボスの奇妙な冒険も無事に終了。
という訳で、予定より早く東京に帰ってきました。

例によって例の如く色々あった旅行だった訳だが、今回はダイジェスト的なものにしようと思う。
つーか長々と書くのは疲れそうでイヤだし。

さて、今回の旅行のツレも、前回と同じ友人Z。
今回は名古屋⇒京都⇒(前回野宿した)土肥という行動予定だが、コンセプトとしてはとにかく「高速に乗らない」という事になっている。
また、行きに名古屋に向かう途中、伊豆半島を一周する事。
このふたつは絶対守るというコンセプトの元、早速旅行スタート。

取り敢えずは厚木に向かい、そこから厚木・小田原道路を利用し、一気に小田原へ抜ける。
途中まではZが運転し、熱海に入る手前で俺に交代。
ここまでは別に何事もなしである。

因みに、出立したのは午前1時半くらい。
熱海には二時間ちょっとで到着した。
ここから伊豆半島を一周することになる訳だが、天気がイマイチ悪く、せっかく広い伊豆の空には、星は一つも見えなかった。

で。

伊豆半島の道は基本的に山道なんですけど、それ故にカーブが多い。
で、そのカーブの注意を促す標識というか、立て看板があるんだが、これが滅茶苦茶生々しい。
矢印が弧を描いていて、その一番出っ張った部分に赤ペンキが塗りたくってあるんだけど、それが「本物の血じゃないのか?」と言いたくなるほどの毒々しさ。
そりゃあ、あれを見れば誰でも注意すると思う、マジな話。
当然の事ながら、俺も一気にスピードを落として安全運転しました。
で、俺の感想。

「くそぉーっ、看板! おまえのくだらない標識はこれを狙っていたのなら予想以上の効果をあげたぞッ!」

どんな時でも心にジョジョネタを。

 

さて、暫く走って、西伊豆のあたりに入ったころ、空が明るくなった。
曇り空なので、時々しか太陽が顔を覗かせないのだが、西の山の稜線から光がさし、海に反射する様はまさに壮観だった。
今回は、時間帯を狙ってKeyBGM集をかけていたので、余計に効果が上がった。
あの光景は一生忘れないね、俺は。

さてさて、伊豆一周から脱出し、再び国道1号線に乗った俺たちは、今度はわき目も振らずに一路名古屋へ。
途中、静岡市あたりで再び俺が運転を替わってから、名古屋の手前20キロくらいまでの間、ずっと運転しっぱなしになった。
腹の調子は悪くなるわ、肩は凝ってガタガタになるわ、腰痛は出るわ、それこそ限界である。
危なくゴールしちゃう所でした。

その日の夜、ホテルで俺が見た夢は、ハンドルに両手を括り付けられて動けないでいるという悪夢だった。

名古屋では、前回同様に「月天」へ。
前回と違って、非常にすいていてイイ感じだった。
ここのお酒「一期一会」は凄く美味いのでお勧めだ。

取り敢えず、何はなくとも乾杯。
俺と友人Zの乾杯の音頭と言ったら、一つしかない。

「酒! 飲まずにはいられないッ!」

 

で、「処刑ライダー」を全部見てから睡眠。

次の朝、起きてニュースを見ていたら、オジー・オズボーンの殿堂入りのニュースが流れていて、ちとびっくり。
やっぱり息の長いミュージシャンは、それだけで偉大だって事だな。

さて、次の日は午前10時くらいから早速京都に向けて出発。
グリーングリーンのヴォーカルトラックなんぞを流しながら走っていた訳だが、全然ゲームミュージックじみていないので、全く違和感なし。
やっぱイイ曲だな。

そして滋賀県へ入って、その土地の広さに驚愕する。
見える建物が全て横に広いってのは、久しぶりに見た光景だった。
東京では建物は上に高いってのが常識だからなあ……。
更に、道路沿いに茶畑が広がっているのを見て、更に茶を売っている店を見て、滋賀県の名産がお茶である事を初めて知った。
俺は地方名産物に疎いので勉強になった、かなり意外だったけど。

「意外! それはお茶ッ!!」

 

さて、京都に無事到着。
そして、今回是非お会いしたかった方に無事にお会いできました。
どなたかと言うと、Shoot OutsCuvieさんであります。

落ち合ってから、前回と同じくちょっとした話し合いを非常に有意義に済ませる事に。
この過程できゅーさんが画を描くところを拝見できたのですが………凄すぎます、明らかに人知を超えた業です。
これがプロの業なんだなあ、と感心する事しきりでした。
感動。

さて、この日は車の中で野宿。
いつもの事なのだが、恐らくこれがこの後に訪れる悲劇の遠因になっていたのではないか、と、冷静になった今は思っているのだが……。

日差しの強烈さで目が覚めたあとは、「京都巫女さん巡りツアー」である。
寺はこの際無視して、とにかく手当たり次第に神社を巡り、巫女さんをひたすら探す。
しかしまあ、京都の神社はどこもでかいです。
特にびっくりするほどのでかさだったのが「上加茂神社」というヤツ。
この神社、俺の実家の近くにある同名の神社の本殿なんですが、スケールの違いに唖然。
流石は千年の歴史を持つ都市である。

さて。
午後からは、お忙しい中、きゅーさんが時間を割いて下さり、俺たちを案内して下さいました。
取り敢えずは本願寺なんかに行ってみたりしてから、「おいしい甘味所」という事で、駅ビルの中にある店に入ってみたんですが、美味い!
抹茶なんかを使って出てくるお菓子は逸品といって良いだろう。

色々と雑談なんかも交えながら、凄く楽しい時間を過ごす事が出来ました。
本当に有難うございました、きゅーさん。

さて、この後、俺の身に思わぬ不幸が襲いかかってくる。

突然だが、俺は腸が弱い。
腸が弱いとどうなるのか。
簡単に言うと、冷たいものを食ったり、体調不良状態になると、腹下しになるのである。
で、この日、駅ビルで食ったお菓子は所謂抹茶シャーベット。
前日は車の中での野宿で、ちょっと体がおかしい。

条件は充分すぎるほど整っていた。

「きゅーさん、済みません、トイレ貸してもらえます?」

ああもう、マジで危なかったよ。
それからトイレに暫く篭りっぱなしで出てこれなかったのは言うまでもない。
何やってんだ、俺は。

きゅーさんは、ご自身サイトの日記で「結局無難に、伊勢丹の甘味処に入ったのですが、うん、当たりでよかった・・・。」(引用)と仰っておられますが、まさにその通り「当り」ました(苦笑)。
勿論、食中りしたって意味じゃないですよ。

まあ、腹の中は無事ではなかったものの、これで京都巡りは一段落。
そこで、きゅーさんとお別れして、俺たちは東へ。

この日はそのままノンストップで、一気に土肥へ直行。
しかし、前回野宿したところは既に工事の手が入っており、凄まじく無念だった。

途中、どこでだったかは忘れたが、「世にも奇妙な物語」を「世にも奇妙な冒険」と言い間違えたのはナイショだ。

そして、目が覚めてから再び伊豆を一周、今度は熱海で温泉につかってから、東京へ帰還。
総計1500キロに及ぶこの旅は、ここに終わりを告げた。

 

 

 

 

この旅は無理な事ばかりしてきた旅だった……。
無理だとか無駄だとかいった言葉は聞きあきたしおれたちには関係ねえ。

 

 

 

 

前回と同じだけど。

それでは、最後に私信を書いて終わり。
きゅーさん、今回は本当にお世話になりました。
凄く嬉しかったですし、有意義な時間を過ごせました、トイレ以外は(笑)。
今度こちらにいらっしゃる時は、こちらが出来る限りのおもてなしを致しますね。
それから、頂いた「飲み物」ですが、大変美味しく頂きました。
本当はアルコール性麦芽ジュースは苦手だったんですが、きゅーさんのお心遣いを感じまして、その分美味しく飲めました。
本当に、何から何まで有難うございました。

思えば、きゅーさんと初めて出会った時から、もう1年が経とうとしていたり。
昨年(2001年)の春コミの時に、俺が何気なく「読ませてもらっても宜しいですか?」と尋ね、それからきゅーさんの本を買ったのが切っ掛けでした。
あの時のきゅーさんの姿は、未だに網膜に焼き付いています。
黙々とスケッチブックに絵を描いておられる姿を見て、「ああ、この方は画を描くのが本当に好きなんだなあ、カッコイイなあ」と思った訳で。
そこまで画に対する情熱があったからこそ、今、漫画家という仕事に就いておられるんだろうな、などと一人納得してたりします。

これをジョジョ風にアレンジすると…………。

 

普通ならこういう場合…
画が描けない俺はおびえ、こんなレベルの高い画、と恐怖するだろう………

でも……俺は…Cuvieさんのこの行動を………!
この『イラスト』を………!!

俺はこの女(ひと)のことを………
数年間、オタクをやってきて、初めてこのひとを

『なんてロマンチックなの』…
―――と思った……

 

 

キョウジさん、ごめんなさい。
白状しますが、コピペさせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回こちらにいらした時は、俺はきゅーさんの奴隷になります。
犬とお呼び下さい。


2002年 5月 1日

うおおおおあああああああああ!!
今月末には30になっちまうぜええええええええええええええ!!!!!!!

いやもう、10年くらい昔の俺は漠然と30歳までは生きられないだろうなー、とか根拠のない妄想に耽っていた訳ですが、気がついてみれば後30日で30歳です。
当然の事ながら10年前には、30になった自分の姿なんか想像もつきませんでした。
そんな中でも、「俺は真っ当なサラリーマンは出来ないだろうな」っていう予想だけは当りましたね。
しかしまあ、25歳を過ぎてからこっちの時間の経過の速いこと。
まさに坂道を転がり落ちるようなスピードでした。
振り返ってみると、25歳の頃の俺の姿は、結構はっきり思い出せます。
やっぱり、それだけ精神的に変わっていないって事なんですかね。

そういえば、かなり大昔に「妻を娶らば」っていう漫画が、ビッグコミックスピリッツで連載されていました。
俺が高校生くらいの話でしたから、今を遡る事12年くらい昔ですか。
その漫画で、主人公が独身のままで30歳を迎え、夜、布団に潜ったままで嘆き悲しみ、苦悩するという偉くネガティブなシーンがありました。
当時の俺は「そんなもんかねぇ〜」などと苦笑しつつ眺めていた訳ですが、今なら気分は良く分かりますね。
まぁ俺には結婚願望が全くと言っていいほど無いので、独身の自分に苦悩するって事はありませんが、30歳になる時の苦悩は今現在味わってます。
とはいえ、30歳過ぎてこその男の真価、ってのもあるとは思うんですが。

しかしまあ、愚痴ってる訳じゃないですけど、自分が30になるっていうのは分不相応な気がします。
俺がガキの頃の30歳の人たちって、スッゲー大人で、落ち着いた雰囲気と貫禄があったと思うんですよ。
アホみたいにエロゲー三昧の日々を送っていたとはとても思えんのですわ。
そう考えるとですね、今の俺の姿は30歳という年齢に比して、いかにも子供っぽいと自分でも思う訳です。
昔知っていた人たちの30歳って、もっともっとカッコ良かったような気がするんですよ。
それは勿論、世間の目から見てどうだとかじゃなく、あくまで自分の美意識に照らしての話ですけど。

「最近の若い者は」っていうセリフがありますが、何となく実感できるような気がします。
このセリフは、歳を取った人が自分を振り返ってみて、比較対象の若者と比べてみた結果としていうセリフですが、自分が若かった頃、今の自分と同じ年齢の人から得たイメージと自分がどれだけ違うか。
それを比べる事でも成り立つセリフだと思います、あくまでバーチャルに実感できるだけですが。
確かに、あの頃の所謂「大人」と比較すると、俺はガキっぽいですな。

まあ、なんだかんだ言っても、30年間生きてきた事には変わりが無い訳で。
この30年間に恥じないものを、これから積み重ねなきゃならないって事ですな。

余談:今回、ちょっと忙しいので更新は極微少です。
本格的な更新は12日を過ぎてからって事で勘弁して下さい。


 

やれやれ、過去ログ置き場はここだぜ、ドララー。