コラム!!
何について語るかは気分次第。さて、今日のお題目は?


2001年  11月 25日   盗作について

いきなりなネタで申し訳ないが、恐らくこの問題はかなり重要な意味がある問題だと思うので、俺なりの見解と意見を述べてみたいと思う。
勿論、俺は同人活動とは関係無い部外者だ。
だからこそ、部外者としての意見を述べておきたいと思う訳である。

事の起こりは夏コミの2週間ほど前に遡る。

CLAMPという漫画家集団をご存知だろうか?
要するに同人さんからプロになったという経歴を持つ4人組の集団である。
昔はもっと大人数で構成されていたらしいが、この際は関係無いし詳しくは知らないのでパス。
で、彼女達は元が元なだけに同人活動に対して非常に寛容で、通常は版権問題で微妙な部分を公式に容認するという姿勢をとっていた。
因みに、サンライズやスクウェア等ははこの問題に非常に煩く、同人活動自体がかなりの規制の下にあるという。

さて、予め断っておくが、俺はこのCLAMPという集団は好きじゃない。
別に彼女達の擁護のためにどうこうしようとするつもりではない事は銘記しておく。

このCLAMPの同人活動していたある大手サークルの絵柄が、実は「トレース」ではないかとの疑惑が持ちあがったのである。
同ジャンル内ではかなり早い段階から問題となっていたらしいのだが、事実上日の目を見たのはこの時だったといっても良い。
今まで問題にならなかったのが不思議なくらいだが、今回はそうは行かなかった。
というのも、この問題に逸早く反応したのが2ちゃんねら達だったからである。

2ちゃんといえば悪名が高いが、こういった反社会的な行為に対して絶対的に容認しない事でも有名だ。
過去いくつものサイトが、余りにも反社会的な態度を2ちゃんに糾弾されて閉鎖に追い込まれている。
しかし、認識を誤ってはならない。
閉鎖にまで追い込まれるようなサイトには、公平に見てもかなりの大問題があるものだ。
「2ちゃんウォッチャー」(当の2ちゃんねらよりもタチが悪いが)としてこれは断言する。

でも、2ちゃんねるの名をサイトの中に出しただけで厨房扱いするのは止めて欲しいが。

そんな訳で、件のCLAMPトレースサイトはたちまち攻撃を受ける事になった。
更にこの動きに触発されて、当のCLAMPが直接そのサークルのサイトを覗き、公的に「あれはトレースだ、2度とやるな」という意味の発言を行った。
この段階でこのサークルが陳謝していれば、問題は拗れなかった筈である。
ところがこのサークルはサイトを閉鎖した挙句、せっかく取得していた夏コミの出店スペースにはついに現れず(つまりドタキャン)、更には「自分たちはトレースなどしていない」というメールをCLAMPに送りつけてバックれちゃったのである。
以来、彼女たちはこの件についての一切のコメントを発表していない。
ジャンルを変えて、そ知らぬフリで活動をしているとのことだ、脅威的な面の皮の厚さと言えよう。

さて、トレースとは言うまでも無く「線を写し取る」作業である。
ガキの頃、カーボン紙を使ったりトレーシングペーパーなんかでやった、あれである。
練習とか参考資料としてやる分には大した問題ではないが、これをサイトに上げたり同人で発表するとなると、話は大きく違ってくる。
ちょっと昔の話だが、かわぐちかいじ氏が「沈黙の艦隊」という漫画の中である軍事雑誌に載っていた写真の「構図」を参考にしたコマを描いて、その雑誌の写真を取ったカメラマンから訴えられた事がある。
著作権法においては、構図を「模写」するだけでも立派に犯罪にあたるそうである。
つまり、トレースなんてものは論外中の論外、言語道断なのである。

こう具体的に書いても、同人と縁のない人の中には分かり辛い人もいるだろう。
そこで、音楽で例えてみよう。
返って分かりにくくなるかもしれないが。

ここにマノウォー大好きな青年が存在する。
自分もアマチュアで作曲などしているのだが、何分彼はそこまで上手にギターが弾けない。
マノウォーが好きで好きで仕方ない彼はマルチトラックレコーダーを購入、まずはマノウォーの曲を録音した。
そのうえで、それを超低速再生し、自分がそれに合わせてギターを弾いたものを録音していった。
そうして全てのトラックを自分の音に差し換えた彼は、それを「自分の作品だ」と言って発表した訳である。

つまり、このサークルがやったのはそういう事である。
それどころか、中にはコピーを切り貼りしたような作品もあったというから、飽きれてものが言えない。
これなんかは、録音した曲を次々に切り貼りして組み合わせて別物にした挙句、自分の作品だといって発表するような物である。
まさにオリジナリティの欠片も存在しない。

今回の問題の場合、問題を複雑化させる要因が幾つか存在した。
一つは、大元のCLAMPの同人に対する態度であったろう。
無論必要以上に厳しいよりはずっと良かったのだろうが、彼女達が寛容な姿勢を示したためにジャンル全体が「馴れ合い主義」とでも言えるものに堕してしまったと言えよう。
無論、多くの人は真面目に同人活動に取り組んでいたに決まっている。
しかし、他では見られないほどのこのモラルの欠如ぶりは、やはり大本の甘さが招いた物と思えるのだ。
二つ目は、上に連動した所謂「犯罪的連帯感」の発生だろうと思う。
問題となったサークルが大きく取り上げられた時、
「みんなやってる事なのになんで彼女達だけ責めるんだ?」
という声や、
「黙っていれば問題にならないのに、なんで事を荒立てるんだ?」
と言った声が方々から上がった。
更に、彼女達のやった事を暴くのは原作者(CLAMP)に心労を押しつけるだけだから、内々で処理すべきだとの声も上がった。

典型的官僚主義である。
表に出なければ何をしても良い。
表に出てしまったら、被害が少ないうちに事を収束させるためにもっともらしい理由で収めようとする。
そして、徹底的に事の本質から目を逸らした見当違いな感情論を押し通そうとするってワケだ。

思うに、創作活動とは己の分身を買ってもらう為のものだ。
俺は音楽を(無料だが)配信しているが、それは己の分身である。
己の分身である以上、嘘はつけない。
騙すなんて事は自分に対しての冒涜だ。
他人は騙しても、俺は自分を騙す真似はしたくない。
それは製作者としての、最低限のプライドではなかろうか。

まあ、一般的な話に当てはまる相手じゃないから一般的な言い方は止そう。
極端なヤツには極端な意見をぶつけるに限る。

はっきり言ってしまえば、自分の良心が許すならパクろうがトレースしようがコピーしようがそんなものは各人の自由である。
どんな場合であっても、自由は義務に優先する。
だから、パクッたって良いしトレースしたって良い。
好きにすれば良いのだ。
そうする自由が製作者にはある。

ただし。

自由を行使した直後から義務と責任が派生する事は忘れてはいけない。
パクったりトレースするって事は、それは「犯罪」である。
犯罪である以上、それに相当する罰を受けなきゃならない。
そんな事は小学生でも知っている。
因みに、俺は幼稚園の時に既に知っていた。
つまり、未だに逃げ隠れしてるこのサークルのレベルは、俺の幼稚園児時代よりも低いって事だ。
俺が幼稚園児だったのは今から25年前。
こいつらは実に25年も時代から取り残されているわけだ。

逃げていればいずれ問題は解決するとでも思っているのだろうが、そんなことは無い。
件のサークルは「犯罪者」なのだ。
犯罪者には自由も権利も無い、あるのは罪を償う「責任」であり罰を受ける「義務」である。
それがイヤなら自由を行使するときには十分考えてからにすべきだったのだ。
それが納得行かないのなら、別の国にでも行くか無人島に行くかすればいい。
日本国民であるなら、この程度の認識があるのは当たり前だ。
逃げたって問題は解決しない。
釈明するなりいいわけするなり謝るなり怒るなり泣くなり、何かリアクションすべきだろう。
その上で、自分のやった事の責任を果たして下さい。
責任を持てない発言ならともかく、責任を持てない行動は余りにもみっともないです。
せめて最期くらいはカッコイイところを見せてくれ、今更失うものなんかないだろう。
惨めで醜いまま同人界から追放されるなら、アンタ達は永遠に笑い者だ。
負け犬トレーサーと呼んであげよう、心底からの蔑みを込めて。

今回の件は、部外者として非常に役に立った。
何をやるべきか、何をやってはいけないか、改めて参考になったからである。
全くありがたい連中である、無論これは嫌味で言ってるんだが。

ところで、未だに件のサークルが顔を出さないのは、彼女らを擁護するグループがいるからでもある。
その擁護派にひとこと言いたい。

もうちょっと保身てものを考えようよ。
沈む船にいつまでも乗ってるのは軍人だけで充分だ。
と言うか、軍人以外がそんな事やってもただの馬鹿だぜ。

勿論、これも嫌味で言っているんだがね。

取り敢えず部外者としての意見は述べた。
影響力があるとは思えないが、俺が意見表明をしたことによって、同人活動をしている方々が少しでも考えてくだされば幸いである。
繰り返すが俺は部外者に過ぎない。
この問題の経緯や結果にはなんの責任もない。
俺は部外者としての感想を述べたに過ぎない、所詮は傍観者の無責任な発言である。
この問題を解決すべきなのは、同人活動をしている方々である。
是非とも自浄作用という物を発揮して頂きたい。
それを発揮できないなら、残念ながら同人界は根底からヤバイと俺は思う。

 

最後に。
俺が断定的に「トレース」と言っているだけでは心許ない、自分で確認したいと言う方の為にお勧めリンク。

検証サイト

↑件のサークルの作品がトレースであるかどうかを文字通りに「検証する」サイトです。
ここを見て、ご自分で判断して下さい。

 

★自分がやられて嫌な事を平然とやるのは、馬鹿の証明である。


2001年  12月 17日   エロゲーマーとしての俺

勿論俺に限った事じゃなく、人間は色々な面を持ち合わせていて、しかもそれは全て自分の真実の姿だってことは別に偉そうにいうまでもなく当然の事だ。
メタラーな俺、演技者な俺、サイト管理者な俺。
全て俺の真実の姿であって、どれが本物なんてことは無い訳だ。
で、今回は「エロゲーレビュー」なんてものを作った手前、エロゲーマーとしての俺について書いてみる。

基本的に、俺は鬼畜エロゲーマーである。
それもかなりの拘りがあって、単に「陵辱」要素があるだけのゲームは鬼畜とは絶対に認めることは無い。
それはただの外道に過ぎない。
鬼畜とはそんなレベルを遥かに超越した、誇り高い世界なのである。
鬼畜とは、己の欲望に忠実であると同時に、相手の肉体を支配できるだけの満足度を相手に与えなければならないのである。
従って、嫌がる相手を無理矢理モノにするだけでは全然話にならない。
やはり最終的に「いや〜ん、アナタ(の一部)無しじゃもう生きていけないわん」という、完全メロメロ状態に相手を持ち込み、且つその欲望に絶倫に応え続けてこそ真の鬼畜なのである。
そういう観点で見れば、世の鬼畜ゲーの7割くらいは失格である。
真の鬼畜を体現したゲームというのは、これはなかなかないものだ。

さて、鬼畜ゲー以外でどんなゲームが好きかというと、次に好きなのが「馬鹿ゲー」である。
何も考えなくても良いくせに、矢鱈とエロが詰まってるようなのが最高だ。
何故かというと、俺が好きなのは「エロゲー」だからである。
決して「ギャルゲー」が好きな訳じゃない俺としては、エロ要素が無ければ話にならない。
そんな訳で、エロが充実してる事が重要なのである。

では、逆に嫌いなタイプはどんなゲームか。
はっきり言い切ってしまうが、所謂「感動系」に属するゲームは片っ端から嫌いな類に入る。
ただし、これは明言するが、あくまで「嫌い」なだけであって「認めない」とか「絶滅しろ」とかまでは言うつもりはもう無い、一昔前までは公然と口にしてたが。
ナニユエ軟化したかと言うと、「鬼畜ゲーと対極をなす感動系ゲーを以って、鬼畜エロゲーの価値判断の基準とするに足る」という結論に達したからである。
要するに、敵の存在が無ければ味方の意味が無い、という事だ。
よって、昔は全く楽しめなかった感動系も、最近は素直に楽しめるようになっている。
ただし、勿論のこと、出来が良くなきゃ全く意味は無いけどね。
しかしまあ、ちょっと前までは「感動系」ってだけで吐き気がしたもんだが。
今は穏健派鬼畜エロゲーマを自認している訳ですよ。

さて、ここで「感動系」という言葉を使っているのは、俺の中では明確に「純愛」と「感動」の線引きがなされているからだ。

純愛=感動というのはかなり短絡的な見方であると思う。
たとえば陵辱要素が強いゲームであっても、それが凄い説得力を持って「純愛」として成立していれば、それは「鬼畜純愛」となる訳である。
勿論、そういうゲームの絶対数は少ないが、ゼロであるとは言えまい。
鬼畜者としては悔しい話ではあるが、「感動系」という言葉が明確なジャンルを意味するようになってから、「純愛」という言葉はもう意味をなさなくなったと言えよう。
無論、それはエロゲー界のみの限定での話だが。

さて、これらのゲームの括りの中で、全く別の解釈をしている物がある。
それは「ノベルゲーム」である。
これは俺の中では完全に「ポルノ小説」であって、「ゲーム」という意味は持っていない。
批判がくる前に断っておくが、俺はポルノ小説というものは立派な文学の一形態だと思っている。
大体ポルノ文化を否定するヤツは最低のクズだと思っている俺にとっては、ポルノ作品というだけで作品の重厚さを否定されるのは、たまらなく屈辱的だと思う。
ちょっと話がそれた、元に戻す。
要するにゲームがゲームである所以は何かといえば、それはストーリーは排除したとしても、ゲーム操作だけでエンターテイメント性が成り立つ所にあると言えよう。
その点、「話を読ませる」事を主眼にしたノベルゲームは、非常に特異なタイプと言える。
だからこそ一つのジャンルとして認めるし、またその練り込まれたストーリーを楽しむ訳である。
元々読書が好きだしな、俺は。

という訳で、今回のレビューはこんな基準の元に作ってみた訳である。
バラバラに思えた人、ちょっとは疑問が氷解してくれただろうか。


2002年  1月 8日   好きなギター、嫌いなギター

先日「カナリア」というエロゲーをクリアしたんだが、このゲーム、音楽が主題だけあって沢山楽器が出てくる。
勿論、ご多分に漏れずギターも出てくる訳で、それを見ててふと思ったことを書いてみたりする。

基本的に俺はメタリストだから、軽い音しか出ないタイプのギターは好きじゃない。
あと、特徴的だけど弾きにくいギターとかもアウト。
で、「カナリア」というゲームでは、ヒロインの一人がギブソンの335というヤツを使ってて、もう一人のヒロインが(明確な記述は無いが、形状から判断するに)テレキャスターを使っている。
この2本、俺的にはダメ。
335はボディが馬鹿でかくて弾きにくい上に音が軽いし、テレキャスなんて音を聴いてるだけで耳が痛い。
このほか、ダメ系統のギターとしては、リッケンとかスタインバーガーとかがダメ。
あと、フライングVもダメだな。
これらはどうも性に合わないギターだったりする訳だ。

微妙な所ではストラトキャスター。
どうもあのシングルコイルの軽さがちょっとね……。
いい音だとは思うんだけど。

で、好きな系統はと言えば、これはもうハムバッカーバリバリで、ボディが重くて、フロイドローズなヤツ全般。
今メインで使ってるジャクソンのソリストは言わずもがな、ESPとかアイバニーズとか、あのへんはいい。
何気にヤマハなんかも良いギター作ってると思う。
なんだか書いてて思ったけど、新しいギターが好きみたいだな、俺。

で、弾きにくいけど例外的に好きなのがレス・ポール。
音が良い、多少の弾きにくさはこの際無視しても音の良さが抜群だ。
特にブラックビューティー最高。
お金があったら間違いなく買う。

財布にも肩にもかなり重たいけど。

という訳で、お金貯めないとなあ、という所にいつも結論が着地するのであった。
エロゲー買ってる場合じゃねーよなあ。


2002年  1月 31日   恐竜談義

随分大昔の話になるが、俺は「図鑑」というヤツが大好きだった。
まあ本当にガキの時分の話なんだが、「天体図鑑」とか「昆虫図鑑」とか「鉄道図鑑」とか、それが俺の絵本替わりだった。
あと、学研の「〜のひみつ」シリーズは愛読書だったな。

で。
そんな中でも、特に俺が燃えまくって読んでいたのが「恐竜図鑑」というヤツである。

俺くらいの年齢のヤツらだったら、「昔は恐竜少年でした」ってカミングアウトできるヤツは結構いるだろう。
実際、俺は恐竜少年だった。
まあ、恐竜に限ったことじゃなくもっと最近の(と言っても10万年くらい昔の)動物まで含めての話だが、やっぱり滅びた動物の秘密が少しずつ明かされていくのはエキサイティングだ。
俺らがガキだった頃直立歩行していた肉食竜は、研究の結果、体を水平に近い形にして走っていたと結論された。
ステゴザウルスの背中の板は、俺らがガキの頃は身を護る盾とか言われていたが、最近の研究では、アレは体温調節用であったと結論されつつある。
更に肉食竜の一部には「羽毛」を持ったヤツがいた、という事も分かったらしい。
いや、実にエキサイティングな話である。

さて、随分時代が最近になって、漫画で恐竜をリアルに描く人が現れた。
星野之宣氏である。
ブルーホールという漫画は傑作なので、絶対に読んでおくこと。
これを読んで、中学、高校と眠っていた恐竜魂に久し振りに火がついたもんだ。

さて、それからちょっとしてから、今度はスクリーンで恐竜が暴れ出した。
ジュラシックパークである。
この映画、色々言われているが俺は大好き。
映画としての完成度は眼中にはない、単純にスクリーンで恐竜が動いているから好きなのである。
ま、ある種のノスタルジーだな。

余談だが、恐竜のDNAはまだ発見されていないという事だ。
マンモスのは発見されているらしいが、やや欠損気味であるため、クローン技術による再生は難しいらしい。
俺としては、さっさと発見されて、さっさと生み出されて欲しいと思うんだが。

で、去年の夏、ジュラシックパークの3作目が公開された。

賛否両論だったらしいが、残念ながら俺は見逃した。
しかし、断片的な情報は知っている。
今回の映画では、あの「スピノサウルス」が出てきたと言うのである。
正直びっくり、結構マイナーな恐竜だと思ってたんだけど。

で、この映画では「スピノサウルスVSティラノサウルス」という戦いがあって、それが一つの山場になっている。
両方とも肉食竜で、かなり狂暴である事から、さぞや大した迫力だっただろう。
嗚呼、見たかった。
ま、それは置くとして、この映画ではスピノサウルスがティラノサウルスの頚骨をへし折って勝利するらしい。
まるでHBの鉛筆をベギッとへし折るように。
1作目、2作目で暴れまくったティラノ君も、ここに来て脇役(と言うかやられ役)になっちゃった訳である。

さてと、スピノサウルスってヤツは、今の動物で言えば「ワニ」に近いと言えると思う。
歯の形状が垂直に近く、湾曲したナイフ型ではない。
また、頭骨が発見された所によると、頭の形状はそのまんまワニと同じで、細長い嘴を持っていたと言う。
体長は13〜15メートルほどあったようだが、体重は5トン前後、細身の体であったらしい。
背中に団扇のようなヒレ状の体温調節器官を持っていたとされている。
専ら水辺に近いところで暮らしていたらしく、主に腐肉や大型の淡水魚を捕えていたものと推測されているとか。
当然の事ながら、顎の周りの筋力はそれほど強靭ではなく、歯の形状などから考え合わせても、大型の獲物の骨を粉砕して食らうような真似は不可能であっただろう。

一方ティラノサウルスは、今の動物で言えば虎とかライオンに近いといえるだろうか、やや強引だが。
強靭で頑丈な頭骨を持ち、湾曲した鋭利な歯を持っている。
体長は11〜13メートルくらい、スピノサウルスより一回り小さいが、体重は6〜7トンくらいあったものと考えられている。

それで、だ。
動物の戦いというのは、肉食獣同士の場合殆ど例外なく体重の重いものが勝つ。
何故かというと、体重の重さというのはそのまま筋力に繋がる訳で、技術を持たない動物たちの戦いは殆ど「力」で決まるからだ。
で、こんな話がある。
虎とワニが戦ったことがあるのだが、虎は水中からワニを引き摺り出し、陸に放り投げた後、一撃で頭を噛み砕いてワニを殺してしまった。
これなどは良い例になるだろう。
虎の顎の力は尋常ではなく、サイの足の骨を砕くぐらいだといわれている。
一方、ワニの顎の力はそこまでのものではない。
故に、ワニは相手を捕えると体を振りまわしてダメージを与えるのだそうだ。
ワニの顎の力は、瞬発力よりも持続性、つまり「一度噛み付いたら離れない」という方面に力を発揮するのだそうである。

つまり。

真正面から戦ったら、スピノサウルスはティラノサウルスにはまず勝てましぇん。
ま、それ以前にこの2種の恐竜は、全然生息地が違うんだけど。
そういう事も考え合わせて、この映画はエンターテイメントなんだなーと、そう思った訳だ。

で、本当に書きたい事は何かというと、「どうせティラノサウルスがやられ役になるんだったら、是非ともギガノトサウルスを出して欲しかった」ってことである。
マニアック過ぎてわかんない人もいるだろーけど。

 

*ギガノトサウルス……頭骨だけで1・8メートルもある、恐らく地上最大の肉食竜(ティラノサウルスは発見されている頭骨最大1・5メートル)。アルゼンチンにて発見された。形状はティラノサウルスよりも、ジュラ紀のアロサウルスに近いと思われる。白亜紀の前期に生息していたと考えられている。推定体長14メートル以上、推定体重8トン以上。


 

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