リンダキューブ アゲイン
ロルプレイングゲームの面白さとはなんだろう。
思うに、レベルアップに必要な「敵を倒す」作業と、登場人物たちが流されていく状況としての「ストーリー」のバランスがとれていることが、その面白さにあたる部分ではないだろうか。
ロールプレイングゲーム、通称RPGという分野では、過去多くの名作が排出されてきた。
ドラクエ、FFなどのように、ロングランシリーズ化された作品もある。
この手の作品では主人公は大抵「勇者」であり、世界の中で特別な力を持つ存在だ。
絶対的な力を持ち、万能に近い能力を振るって世界の危機を救う。
始めは殆どなにもできなかった人間が、「レベルアップ」していくことによってその力を手に入れていく。
その圧倒的な成長に共感を覚えるのもまた、RPGの魅力といえるだろう。
RPGとは、基本的に現実から乖離した世界観を構築している。
これは当然と言えば当然のことで、制限の多い現実に則してRPG世界を構築させていたのでは、話に広がりを持たせることができない。
その制限を取り払った状態でどれだけのバランスを持ってゲームを構築できるか。
詰まるところ、RPGとはそのバランスの見極めだと俺は思う。
このリンダキューブも、勿論この見極めの上に成り立つバランスは絶妙だ。
レベルアップのみならず、ストーリーの進行も実に自然で、先の読めない展開と共にプレイヤーをゲームの中に引き摺りこむ。
100種以上もいる敵にそれぞれ特徴を持たせ、変化をつけた動きをさせているところも注目に値する。
こう書くと、いかにも王道RPGという感じがする。
だが、このゲームでは弄って良いところはひたすらに弄り倒し、RPGの限界までストーリー性をゲームにもたせているのだ。
さらに、時間経過という概念でプレイヤーを縛り、ゲームに緊迫感を演出する。
そう、このゲームでは時間の流れが、プレイヤーを追い詰めていくのだ。
主人公たちはヒーローでもヒロインでもない。
一般人がRPGの主人公になっているだけであって、そこには「世界を救う」というお題目は存在しない。
このゲームでは、世界の崩壊は最初から決定しているのだ。
そのタイムリミットまで、どれだけのことができるかをプレイヤーに要求するゲームなのだ。
言ってみれば「限界に挑戦」するためのゲームであって、ストーリーを進めていくゲームではないのである。
先に、このゲームはストーリー性を極限までもたせたゲームだと書いた。
同時に、このゲームはストーリーを追っていくゲームではない、とも書いた。
これは矛盾ではない、真実なのだ。
なぜなら、ストーリーは主人公たちの目的と一部が絡んでいるだけであって、主人公たちの目的は、全く別にあるからだ。
用意されているストーリーはストーリーで別物。
果たすべき目的は目的で別物。
通常のRPGでは考えられないことに、主人公たちは「他で起こった事件(=ストーリー)に巻き込まれていく」存在なのである。
これだけ徹底的に主人公を無力化して描いたゲームも珍しい。
だが、人は現実では、大抵無力だ。
できることなど限られている。
その中で、どれだけのことを出来るか、常に問われ続けている。
つまり、このゲームはそういうゲームなのだ。
何が出来るか、スタートした瞬間から、どれだけの事ができるか、それを問われているのだ。
何をするのも自由、どこにいくのも自由。
自分の頭で考え、自分の行動を決めるのだ。
そこでは、勇者などという存在は必要とすらされていない。
普通の人間が、普通の感性で普通に物事をこなしていく、ちょっと普通じゃないRPG。
リンダキューブとは、そういうゲームなのである。