TATSUJIN
このゲームが登場した時、ゲーセンは既にシューティングの急激な下降期に突入していた。
早くもストリートファイター2がゲームセンターを席巻し始め、シューティングゲームは対抗する術もなく筐体から姿を消し始めていく時期だった。
各社は挙って自社の名作の名を冠したゲームを登場させ話題作りに奔走したが、既にシューティングはゲームとしての限界に到達しており、全て一過性の派手な打ち上げ花火で終わってしまった。
シューティングは完全に絶滅期を迎えたのである。
そんな中、最後にシュートゲーマーが縋ったのがこのゲーム、「TATSUJIN」である。
読んで字の如く「達人」。
意味は深くない。
シュートゲーマーならこのゲームをやってみろ! それだけである。
この挑発にシュートゲーマー達は見事に乗った。
名に違わぬ難しさがウリだったこのゲーム、斬新さは全く見当たらない。
正統派の縦スクロールで、自機のパワーアップシステムも何の変哲もないものばかり。
ボムだって普通のボムであり、全然目新しい効果はない。
それが良かったのだ。
先にも述べた通り、この時期のゲームセンターは早くも格闘ゲームの時代の幕開けを迎えており、シューティングゲームは次第にその生息範囲を狭めていった時期だった。
シュートゲーマーがこの時期に望んだ事はただ一つ。
「面白いシューティングがやりたい」
これだけであった。
一方、各社が取った戦略は全く逆であったといって良い。
昔の夢よもう一度、とばかりに自社の知名度の高いゲームの名を借り、2番煎じを狙ったのである。
それ自体は間違いではあるまい。
致命的だったのは、そのどれもがつまらなかった事であった。
格闘ゲームの新鮮さに対抗するために、あまりにも「斬新」であることに拘りすぎ、ゲームバランスを崩壊させていたのだ。
TATSUJINが世に現れたのは、そんなゲーマー達の望んでいた、まさに頂点の時期であった。
絶好の就役といえた訳である。
先にも述べた通り、全く斬新さはない。
その挑発するようなゲームタイトルが、燻っていたシュートゲーマー達の魂に火を付けたのである。
流石はタイトー。
当時の俺達は、タイトーを大いにに褒め称えたものであった。
このゲーム、難易度は高い。
だが、無茶なバランスでは決してなく、今のゲームのようにドット単位で弾を見切るなんてことはない。
音楽も爽快で、早い話「難しくてストレートなシューティングが出た」という、それだけであった。
そんな単純さこそがゲーマー達の希望だったのである。
シンプルな操作、シンプルな演出、シンプルなシステム。
言ってみれば、このゲームはシューティングを極限まで丸裸に晒したゲームだった。
タイトーはユーザー達が現在何を欲しているのかという事を正確に見抜き、極めて分かりやすい形でそれを提出してのけたのである、挑発のおまけをつけて。
そう、このゲームは何よりも「分かりやすい」ところが良かったのだ。
まっさらの、これこそシューティングの原点、というものを極めて明確に形にしたのである。
シューティングゲームの、最後の灯火。
超巨星がスーパーノヴァを起こす直前のように、その瞬間シューティングは明るく輝いていたのである。
時代は流れた。
今、ゲームセンターにはシューティングに熱中するものはいない。
あの輝きを最後に、シューティングは死んだのだ。
黙祷。