ヤマタイカ


まず始めに断っておくが、俺の中において「最高の漫画家」と言うべき人は、藤子不二男でも手塚治でもなく、ちばてつやでも石の森章太郎でもない。
勿論、今挙げた方々も好きな漫画家ではあるが、「最高」と言う称号は特別な者にのみ与えられるものだ。
俺にとっての「最高の漫画家」は、星野之宣氏である。
では、なぜ最高なのか。それは、彼の書く漫画が極めて知的かつドラマチックなものだからだ。
それだけではない。類まれなストーリーテリングが、高度な画力によって、抜群の説得力を有している。
俺はこれまでに、数え切れないほどの漫画を読んできた。新旧取り混ぜて、その数は天文学的な数字になることは、まず間違いないところだ。
その中から、あえて彼を「最高の漫画家」とする根拠は、彼の描き出す豊かな創造世界が、高度な知的根拠を伴っていると言う一点にある。
はっきり言って、彼の漫画は難解である。
こういう言い方はどうかと思うが、敢えて言わせてもらえば、高等教育を受けたことのない人物では、その真の面白さは解らないと思う。
SF、神話、歴史。
彼が取り上げる題材は多岐にわたるが、どのジャンルであれ、科学的、または歴史的、あるいは考古学的な基礎が読み手になければ、理解することは難しい。
豊かな想像力を抜群の画力によって描き出す。
センス・オブ・ワンダー。
星野之宣氏の漫画は、その一言に尽きる。
そんな彼の漫画の、一つの集大成として取り上げるのが「ヤマタイカ」である。

この漫画を読むにあたっては、二つの知識が読み手に要求される。
考古学と、民俗学。
このジャンルは星野氏の最も得意とするところだと俺は睨んでいるが、それが実に高度なレベルで展開されていく。
日本民族を異なる二つの視点から描き出し、激しく生き、激しく死んでいく者と、秩序に準じて生きる者との対立として壮大なドラマに組み込んでいく。
日本には、古くから「マツリ」という儀式があった。
想像でもなんでもなく、学校でも習う事実である。
60年ごとに繰り返されるそれは、古くは江戸時代よりも前から発生していたとも言われている。
ただ目的もなく踊り狂うだけのそれは「踊狂現象」とも呼ばれるが、そこにこそ日本人の「血」に眠る何かが隠されているという解釈を元に、圧倒的なドラマが繰り広げられていく。
主人公達は、ひたすらに現代の「マツリ」の完成を求め、秩序を守る者達との戦いを繰り広げていく。
遥か古代に奪われた「マツリ」を完成させること。
遠い「邪馬台国」の時代からの「マツリ」を巡って、卑弥呼の血をひく者達と、鎮護国家を求めるものたちの死闘。
ドラマは、古代と現代の戦いの様相をあらわにして、ひたすらに、寄り道をすることなく一直線に終末へ向けて突っ走っていく。
そのドラマ性の高さは、劇場盤「イデオン」にさえ匹敵するだろう。
作品の中で、主人公は言う。
戦争は日本民族の持つエネルギーが捻じ曲げられた「暗黒のマツリ」だった、と。

この圧倒的な解釈!
誰が想像できるだろうか?
戦争さえもが民族に眠るエネルギーの発散だと。
炎のごとく燃え盛るエネルギーの爆発を、生死を掛けた戦いにまで昇華してドラマは進んでいき、そして最後には空前のカタストロフと、静かな結末だけが待っている。
「ヤマト」という日本人にとって特別な単語をキーワードにして、「マツリ」を巡って戦われる古代と現代。
その日本人が持つ魂を揺さぶる空前のドラマは、最後には「終わる」のではなく「終わっていく」。
祭りの喧騒が去った後のように、ただひっそりと。

星野氏が描く世界の中でも、特に神話や歴史に関するものは独特の解釈がなされていて、思わず身震いしたくなるほどの説得力を持っている。
星野世界の一つの完成形として、「ヤマタイカ」は漫画史上に燦然たる光を放っている。
ともすれば、リアル路線の絵柄と、難解なストーリーが敬遠されがちな星野漫画だが、彼の描く世界こそ、漫画の持つ「本質」、つまりは「何でも題材になる」という一点を、見事にあらわしていると思う。
漫画の持つ奥深さを知りたいのなら、是非一読することをお勧めする。
センス・オブ・ワンダーの、本当の姿が解るだろうから。


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