宇宙戦艦ヤマト
戦争の傷跡もすっかり癒え、沖縄も日本に返還され、戦後の保証も粗方片付いた’74年、あるアニメ番組がひっそりとスタートし、そしてひっそりと終わっていった。
その時は、それで全てが終わったはずだった。
誰もがそう思っていた。
だが、それはただの思い込みだったのだ。
「それ」が劇場公開されたとき、アニメの歴史は大きく変わった。
伝説の始まりだった。
宇宙戦艦ヤマトが何よりも画期的だったのは、良く言われるように「綿密な科学的背景を持っていた」からではない。こう言っては何だが、後の「ガンダム」が今でも通用するほどの科学的な説得力を有しているのに対し、ヤマトにはそういうものがない。むしろ、いくつも穴がある。
では、何が素晴らしかったのか。
それは、画面構成と、画面を動かす「エフェクト」だったのだ。
ヤマトは、ガミラス軍の攻撃によりしばしば被弾している。
このとき、破損した装甲板の一部が吹き飛ぶシーンがあるが、重力のない空間での爆発を表現するのに、ヤマトは破片を「放射線状」に拡散させる事で、絶大な説得力を獲得したのである。
また、敵の宇宙船が爆発するシーンにおいても、命中即爆発というコンセプトを廃し、命中個所からの誘爆という過程を丹念に描き出し、それによって戦闘時の緊張感を演出したのである。
これらのシーンを見せる画面構成も秀逸で、遠距離と近距離の切り替えのタイミングが絶妙なものだった。
さらに、艦内で繰り広げられるドラマも実に凝ったもので、あちこちに複線を張り巡らし、それを効率良く処理していく事でドラマの持つ緊張感を醸し出すことに成功している。
それに、余計なフラグメントを提出したりせず、あくまで目的を拡散させずにシンプルなストーリーを貫いている点も、ドラマの持つ魅力を充分に引き出した。
この点、後の「エヴァンゲリオン」とは、あまりにも好対照だろう。
ヤマトのクルー達の魅力も、大きく貢献していた。
「馬鹿め、と言ってやれ!」
というのは、死ぬまでに一度は口にしたい台詞ベスト5にはいる名台詞である。
また、緊急時に対策が的中すると、思わず
「こんな事もあろうかと〜」
などと言ってしまうのも、大きな影響である。
これらの台詞を言って似合うキャラクターたちが、ストーリーを紡ぎ出していたのだ。
面白くならないはずがない。
そして、何よりも重要だったのは、あまりにも魅力的過ぎる敵役の存在だ。
デスラー総統は、我が家の留守電を勤めるほどにカッコイイカリスマだったし(俺が真似をしている)、その他のガミラス軍の将軍達も、色々なタイプの役者(敢えてこう呼んでおく)を揃えていて、見ている側でさえもが「相手にとって不足なし」と思ってしまうくらいである。
これはほぼ絶対の真理だが、目的が単純であればあるほど、ドラマは面白くなっていく。
この法則を打ち破ったものは、過去、たった一つだけである。
それこそが「ガンダム」なのだが、これはまた別の研究として言及するとしよう。
とにかく、ヤマトは単純なストーリーと、そこに織り成されるドラマを重視した作品だった。
そこに、桁外れの説得力を持つ演出が加わったとき、両者は巨大な化学反応を起こし、歴史を変えるほどのエネルギーを生み出したのである。
そのエネルギーを忘れなかった者達によって、後の「ジャパニメーション」と呼ばれる、世界に誇る文化が生み出されていくのだ。
俺は、始めに、この作品は「歴史を変えた」と表現した。
だが、より正確に言うならば、この作品は「歴史を作った」のである。
アニメだけではなく、日本の文化の歴史を。
戦後30年にして「戦艦大和」は、宿敵・アメリカを、ついに文化的に屈服させたのである。
もって瞑すべし・・・。
ヤマトで、いくつかの話のコンテを担当する事になった富野由悠季氏は、この作品に見られる落とし穴を完全に塞ぎ切ることを考え、その成果は後に「ガンダム」となって、新たな歴史を作っていく・・・。