Keyの功罪・その1


さて、エロゲーという領域に「御伽噺」を大胆に持ち込んだ事で一躍トップへ踊り出たのがKeyというメーカーです。
無論業界全体が同一の価値観を持たねばならないってことはありませんので、穏健派鬼畜ゲーマーを自認する俺としても、その存在は認めています。
しかしながら、Keyというメーカーには告発されるべき悪癖があります。
以下に、その点についてを語る文章を掲載致しますが、これはKeyに対する誹謗・中傷、或いは攻撃の類ではなく、あくまで批判である事をお断り致します。
尚、タイトルに「その1」とふった通り、いずれは「その2」も掲載するつもりですが、それは「AIR」のレビューを掲載したとき、同時に掲載する予定です。
現在「AIR」は再度プレイ中でして、自分の中での評価も固まりつつありますから、そう遠い話ではないと思います。

 

●Keyというメーカー

現在ややその勢いは衰えたとはいえ、エロゲー領域において頂点に立つメーカーは、やはりKeyだと言えるかと思います。
このメーカーは元々真っ当なエロゲーを作っていた「タクティクス」というメーカーから分離・独立した形で立ち上げられたと言えます。
更に、そこにLeafから離脱したスタッフが流入・合流する形になりました。
元々の反動からか、ブランドとして初めて作られたタイトルは、とてつもない感動作でした。
それが「Kanon」です。
このタイトルはまさにビッグバン的なメガヒットになり、エロゲー領域にはかつて存在しなかった「感動系」というジャンルを作り上げます。(それまでにもLeafのゲームが感動系だという言い方はありましたが、明確な形での「感動系」というジャンルはありませんでした)
更に、このゲームに続いて発売された「AIR」もまた爆発的なヒット作となり、Keyは揺るぎ無い地位をエロゲー界に築きます。

●Key商法

しかし、ここに非常に重大な落とし穴があったのです。
「Kanon」が発売されたのが‘99年、「AIR」発売は’00年。
そして今、‘01年も終わろうとしています。
3年間の間に発売されたタイトルはたったの2本。
しかし、これは「タイトル」という括りで見た時の話でしかありません。
この間「Kanon全年齢版」「AIR全年齢版」、更に移植とはいえ版権があるのは確実な「DC版Kanon」や「DC版AIR」も発売されています。
エロゲーに「全年齢」ってのはかなり首を傾げたくなると思いますが、つまり、エロシーンを完全排除して替わりに書き下ろしの新規CGを入れたものです。
確かに表のレビューでも書きましたが、エロは希薄で、エロシーンがなくても何も影響はありません。
しかし、それはなんの効力も持たない言葉です。
このかなり露骨な金銭主義に、多くのエロゲーマーは反発を覚えました。

●鍵っ子と呼ばれるゲーマー

ところが、世の中には科学で解明できない事象というものがあるようで、この「全年齢版」シリーズは異例の成功を収めてしまいます。
それは偏に「鍵っ子」と呼ばれる購買層が存在したからです。
その名の通り、狂熱的にKeyに対する信奉を振りかざすゲーマー達で、大きく倫理観や道徳心から外れた言動がその特徴です。
彼らの存在は各方面にとって恐怖の対象となり、Keyに対する直接の苦情まで齎されたと聞きます。
しかしKeyはこれを放置、関与しない方針を採りました。
当然と言えば当然ですが、この場合はその常識論は通用しないレベルでした。
何故かと言うと、鍵っ子達の暴挙により幾つものサイトが閉鎖を余儀なくされたり、イベントで混乱が起こったりしたからです。
最近こそ落ちついている鍵っ子達ですが、「Kanon」アニメ化と新作発売が近い今、また活動を活発化させないとも限りません。

●Keyの功罪

つまり、ここで批判したいKeyの体質とは、簡単に言って「自分達が生み出した鍵っ子という存在を、商業的な目的で放置しているのではないか」という点です。
エロゲーと言えども商売は至上目的ですから、重きを置くのは当たり前です。
商業目的自体は批判すべき事でも、非難される事でもないでしょう。
しかし、それが特定のターゲットに向かってのみなされていて、しかもその連中が世間的な迷惑を振りまいている場合、その管理すら出来ないというのはどうでしょうか?
こういう場合、信用問題という言葉が俺の頭の中にはちらつくんですが、如何なものでしょうか。
俺の周りにも軽傷の鍵っ子がいますが、自分が好きな女性に向かって「キミは佳乃(AIRの登場人物)に似てるから好きだ」と告白して振られたりと、冗談みたいなエピソードを持ってます。
こういう、現実と妄想の間に明確な線引きが出来ない連中が巻き起こす迷惑というのは、黒磯の幼女誘拐事件のような凶悪性を秘めていると言えます。
これがもっと凶悪な事件に繋がった時、Keyはどういう態度に出るのでしょうか。

一方、Keyの「功」の部分にも触れなければならないでしょう。
これは簡単に言って、「エロゲーという取っ付き難いものの地位を大きく向上させた」という点にあるでしょう。
俺の知り合いの女性にも「AIR」が好きな方がいます。
ちょっと前までのエロゲー界からは、女性がエロゲーをやるなどまさに想像できない状態です。
俺が「愛姉妹」や「河原崎家」に狂っていた時代は、「エロゲー」という言葉を口にする事さえ憚られたものですが。
餓狼伝で言えば、グレート巽が「俺がプロレスをボクシングの高さまで引っ張り上げる」って台詞を吐きますが、Keyの心情としてはそんな所なのでしょうか。
なんにしても、エロゲー趣味者が太陽の下大手を振って歩けるようになったのは、このメーカーの功績によるところが大きいと思います。
勿論、それ以前にエロゲー界の発展に尽くしてきた多くのメーカー達の不断の努力を忘れてはなりませんが。

 

さて、今回は社会的なエロゲー論としてKeyを批判・研究してみましたが、次回はより狭い、エロゲー領域内での話でKeyというメーカーに迫ってみたいと思います。
次回は相当細かい、ネタバレまで含めて書いていきたいですね。


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