〜ジャッジ・クリムゾン〜
優しい死神

泉 優驥


ジャッジ・クリムゾン
〜優しい死神〜


(1)〜ドジな先生〜
「俺は一体何をしているんだ?」
暮内刹那(くれない せつな)はそう考えた。彼が今いるのは、都立神
代(かみしろ)高等学校。都内では有数の進学校である。時刻は12:
50。昼休みの真っ只中であり、校内の至る所に生徒達の姿が見える。
「俺は一体ここで何をしているんだ?」
再び自問。だが、答えなど出てくるわけがない。
「暮内せ〜んせいぃ〜♪」
と時折女生徒達が声をかける。彼は曖昧に笑って手を振り、生徒に答え
る。女生徒達は笑顔で手を振り返し、廊下を歩いていく。
 彼――――暮内刹那は先月付けでこの高校の非常勤講師となっていた。
だが、彼の本職は教えている日本史でも、ましてや教員などではない。
彼の本業は決して表に出てはいけないものなのだ。
「なんで、俺はこんなとこで教師のコスプレをして、教師の真似などや
 らなきゃならないんだ?」
再び歩き始めて自問する。黒い髪は艶やかで、肩胛骨の当たりまで伸ば
している。無造作に髪を撫でつけ、銀のフレームのメガネをかけ、左手
には教科書と参考書、そして授業で使う資料があった。その目は困った
ようなどこか頼りない目であり、ちょっと見は、どこにでもいる優男で
ある。年齢は20代半ばに見えるが、はっきりとした年齢は分からない。
身長は185cmと長身であるが、細身である。スーツを着ている彼は、
「針金の着せ替え人形」といわれたことがある。
 第一校舎から第二校舎へ歩いていく。彼がいるのは二回の渡り廊下で
ある。第二校舎には彼の・・・というか彼の所属する「社会科」の研究
室があるのだ。
 渡り廊下を渡り終え、ようやく研究室への曲がり角へ来た瞬間、それ
は彼の前に現れた。大声を上げながら、爆走して・・・・・・
「ちょっ!せ、先生どいてどいて〜〜〜!!!」
「はい?」
    ドン!!   ゴツン・・・・
考えことをしていたせいでもあるし、不注意だったこともある。下を向
いて歩いていたことは事実だ。彼は、いきなり走ってきた女生徒と真正
面からぶつかったのだ。
 思い切り突き飛ばされて、彼は手にしていた資料などを取り落とす。
彼自身も尻餅をついて、頭を壁に打ち付けたらしい。右手でさする。涙
目をこらえて自分を突き飛ばした自分を見る。そこには一人の女生徒が
いた。漆黒の髪をポニーテールでまとめ、きりりと整った眉目は可愛い
というよりも凛々しいというほうが似合うという女生徒。大きめの瞳の
端に涙を浮かべ、尻餅をついている。刹那は彼女の名札を見る。
【天都美姫】(あまと みき)とあった。刹那の目が名の通り一瞬だけ
鋭くひかる。だが、美姫がそれに気づくことはなかった。
「あ、天都さんでしたか・・・・・イタタ・・・全く【廊下は走らない】
 という生活安全委員の標語を忘れたのですか?」
なんとか立ち上がり、廊下へ投げ出された資料は後回しに、美姫に手を
さしのべる。その刹那の目は、いつも通りの情けない目であった。美姫
は涙目を人差し指でぬぐい、
「せ、先生がきちんと避けてくれればぶつからなかったのよ」
といってくる。天都美姫。その名を知らない生徒はこの学校にはいない、
といっても過言ではない。それほど美姫はこの学校では有名なのだ。
 明るく好き嫌いをハッキリと言う性格に加え、友達思いで人には優し
い。困っている人を見ると放っておけないと言う正義感の強い女生徒で
ある。また、運動神経も抜群で、スポーツテストの上位常連である。だ
が、本人は部活動に所属していない。理由は誰も知らない。聞いても、
曖昧に笑われてそのままになってしまうのだ。ようは「学校のアイドル」
である。男女問わず人気が高い。
「・・・ハァ〜・・・やれやれ・・・もう少し落ち着いて物事を見ては
 どうですか?そうすれば、こういう事故もなくなりますよ」
と、ため息を大げさについてみせる。
「あのですね、先生。私は私です。この性格でなくなったら、私ではな
 くなるんです。人間、個性が大事ですよ」
となにやら自分の中で勝手に問題を解決して、笑顔で答える。刹那は、
「やれやれ」と頭を振って、手を再びさしのべる。美姫も刹那の手を取
って立ち上がり、スカートの裾を両手で叩き、埃をおとす。
「全く。先生もドジなんですから、もう少し注意深くなってくださいね。
 そうしないと、また誰かとぶつかりますよ」
と、逆に説教もいうのであった。刹那は、
「はいはい。ご忠告痛み入ります」
とだけ断り、落とした資料などを拾いにかかる。美姫もそれを手伝った。
「・・・はい!これで最後ですよ。じゃあね。先生」
と落ちた資料を刹那に手渡し、美姫はまた走っていった。刹那は暫くそ
の姿をみていたが、やがて声を潜め
「・・・あれが今回の【依頼】にあった少女か・・・」
と目を細めた。そこにあるのは、校内でもドジで有名になった臨時講師
ではなく、別の―――――強いて言うのならば猛禽類に似た目があった。

(2)〜喫茶店「夢幻」〜
 その店に行くには少し手間がかかる。駅を降りて都庁の方へ歩いてい
く。その後、大通りを抜けていくのだが、うっかりすると見逃しそうな
ところにある小さな公園。その公園を抜けて、大通りからビル街に移動
する。ビルや一流ホテルなどの超高層ビル群のなか、人目には付きにく
い所にその店は存在した。その店は無論都心にあるのだが、なんせ店が
微妙な位置にあるのだ。一歩でも裏に出れば、都心の裏道へ。表通りは
人の流れが途絶えないほど行き交っている。つまり、店を中心に都心の
表裏がくっきりとわかれているのだ。その微妙な位置にありながら、喫
茶「夢幻」はそこそこ繁盛していた。
「お待たせしました。紅茶のアールグレイとシナモンティーですね。そ
 してこちらが自家製プリンです。ごゆっくりどうぞ〜」
と愛想笑いでお客の接待を続ける男。そう、刹那だ。エプロンを掛けて、
ひたすら動き回ってる。
「3番テーブルのカルボナーラ出るぞ。そして、こっちのイチゴサンデ
 ーはカウンター2番のお客さんだ」
と厨房から低く渋い声が聞こえる。
「マスター!会計お願いします」
昼時の忙しさに刹那一人では対応できないのであろう。刹那は店主を呼
びだした。厨房から出てきた男は、刹那より頭一つ大きい。それでいて、
がっしりとした体つき。見事な口ひげを蓄えた紳士だった。
 男の名は御堂狗狼(みどう くろう)という。年は40代後半、狗狼
は蒼い瞳でお客さん達の相手にまわる。丁度注文の品を全て作り終わっ
たのだ。狗狼はレジにいき、お客さんから会計を頂く。
「え〜オリジナルブレンドコーヒーに、特性サンドイッチ、自家製サラ
 ダとなりまして・・・お会計は1150円になります」
がっしりとした体格からは威圧感などはない。人懐っこい顔と声で、お
客さんも「気の良い店長」として受け入れている。そして、店が繁盛す
る一番の理由は、彼の作る料理であった。
「・・・はい、1150円丁度頂きます。ありがとうございました」
このように、喫茶「夢幻」は繁盛しているのだ。だが、彼等には表に出
せない顔があった。それは、特定のお客の注文を受けたときに見れるの
である。
 その日も、その客は時間どおりにやってきた。気怠い午後の三時。店
はランチタイムが終わり、忙しさが嘘のように思える時間である。
「一名だけど、空いてます?」
カランカランとドアベルが鳴り、澄んだ声が店内に聞こえる。
「はい。空いてます。窓際のお席がよろしいでしょうか?」
「・・・・・・そうね。たまにはカウンターがいいわ」
「かしこまりました。どうぞ、カウンターへ」
スマイル0円を守りつつ、刹那がお客を案内する。
「おや?いらっしゃい茉莉(まり)さん。今日は何を注文してくれるの
 かな?」
と狗狼も厨房から顔を出す。彼女、紫藤茉莉(しどう まり)はにこや
かに狗狼に告げる。
「う〜ん・・・お昼からだけど、ブラッディマリーにしようかな?」
と艶やかな笑みを浮かべる。刹那は茉莉へ近づき、
「じゃあ、いつものようにウォッカの種類を選んでください」
と店の奥へ招く。狗狼も表に「準備中」の札をかけ、刹那に続く。彼等
の本当の仕事の話しを茉莉が持ってきたのだった。
 喫茶「夢幻」の地下室。酒蔵の中にあるスイッチを押して、隠し部屋
に入る。そこは射撃場だった。ただの射撃場ではない。ミーティングが
できるように会議室まである。かなりの広さを有した射撃場だ。
「・・・・・・そろったぜ。マリー」
刹那がメガネを外して告げる。狗狼もエプロンを取っている。茉莉は先
程までの艶やかなイメージとはかけ離れた、いやむしろその反対である
冷徹な声で二人に告げる。
「依頼があったわ。真紅(クリムゾン)にね」
刹那の目の奥が光る。
「ほう・・・」
「今回の依頼は二つを同時にこなして欲しいらしいの」
「2つじゃと・・・」
狗狼が驚きの声を出す。茉莉は静かに頷くと、口を開いた。
「今回の依頼。それはある女の子のガードと、そして、ジャッジ!」
狗狼と刹那の動きが固まる。
「・・・で、誰を殺ればいいんだ?」
刹那が世間話をするように切り出す。茉莉は首を横に振り、
「まずはこの写真を見て」
と一枚の写真を手にしていた鞄から取り出す。その写真には眉目整った
可愛いというよりは格好いいという感じの女生徒が映っていた。
「名前は【天都美姫】。神代高校2年C組所属よ」
と茉莉は簡単に説明する。刹那はヒューと小さく口笛を吹いて、
「へぇ〜なかなか可愛いじゃないの。で、この娘がどうかしたのか?」
「どうもこうも・・・この娘になにかしらあるとしかわからないのよ」
茉莉は左手を額に当て、首を左右にふる。刹那も口を半開きにして、
間抜けな顔をしている。狗狼だけが変わらずたたずんでいる。
「・・・つまりね」
茉莉は深呼吸をして話しを切り出した。
 ―――――ここ最近、神代高校で異変が起きている。生徒が行方不明
になっているのだ。それも、美姫の親友ばかりが・・・・・学校側も警
察との対応に追われているが、どうも曖昧らしい。警察の情報が筒抜け
だったり、被害者は変わらず出る。美姫自身には覚えがなく、なにがお
きても不思議ではない。そこで、ついに手を挙げた関係者から、事件の
調査と犯人を捕まえるようにとの依頼である――――――
 そこまで言ったときに、刹那が手を振る。
「ようは、美姫ちゃんを守って犯人を捕まえればいいのだろ?」
茉莉は首を横に振る。
「それだけじゃないのよ。どうもね・・・腑に落ちないのよ」
「腑に落ちない?」
狗狼が口を開いた。
「ええ。話しのつじつまが合わないし、依頼人との連絡もこちらからは
 とれないの。向こうがこちらにコンタクトしてきたときだけ、それが
 依頼人との交渉の時なのよ」
茉莉はため息混じりにそう告げる。
「結局、それじゃどうやればわからねぇじゃないか!!」
刹那は心底嫌な顔をした。
「そんなこと言わないの。これも仕事よ」
「そりゃそうだけどよ・・・」
未だ納得しない刹那。狗狼は茉莉に聞く。
「それで、美姫という娘には我々の存在を知られては――――」
「いけないわ。勿論」
冷徹に言い放つ茉莉。
「見られたら・・・・・・分かっているわね?」
「・・・消すんだろ?」
刹那の声は低い。一番嫌なことなのだ。
 彼等は確かに殺しを請け負う。だが、彼等にもプライドはある。彼等
が「殺し」――――――彼等の言う「ジャッジ」を行うには、最低のル
ールがある。
「この世には二つの世界と、3つの人種がいる。血の赤と精神の白の世
 界。そして、生きていなければならない人間。死んでもいい人間。最
 後に『死ななきゃいけない』人間。この3つが・・・・・・」
彼等「真紅」の人間が請け負うのは、あくまで3つ目の人種の殺害。つ
まり「死ななきゃいけない人間」を請け負うのである。
「無関係の人間を、ましてや美少女をこの手に掛けるのはいやなんだよ」
刹那の言葉に狗狼が頷く。だが、茉莉は頷かない。逆に口を開く。
「でも、それがこの世界でのルールよ。決して表に出ることのない、裏
 の・・・闇のルールなのよ」
「知っているさ。だから余計につらいのさ。俺はもう民間人を殺したく
 ないよ。それも無関係な人々を・・・・・」
遠い目をして告げる刹那。その瞳には悲しみと絶望がういていた。狗狼
は無言で刹那を見ている。
「まあ、今は昔の話しはいいさ。それで、俺達は何をすればいいんだ?」
刹那は首を振って、感傷に浸る自分を現実に戻した。茉莉は微笑んで、
「この娘、美姫ちゃんは都内でも有数の進学校に通っているの。そこで、
 彼女の日中のガードとして、一人を教員に仕立て上げるわ」
「そういうのは、狗狼の出番だな?」
と笑いながら狗狼に話しをふる刹那。だが、狗狼は大きな手を振って、
「・・・・・今回私は後方支援にまわろう」
刹那は驚きの余り、寄っかかっていた樽を押し倒した。
「なぜなんだよ!?」
刹那の声に、狗狼は落ち着きながら
「この年で今更教員などかえって怪しまれる。それに、私には店がある」
その言葉に茉莉は微笑み
「さらに、付け加えるならこちらには丁度いい年頃の、それも青年がい
 るのよね。普段は暇な人が一人」
その言葉に刹那の顔は青くなる。震える指を自分に向け
「もしかして、それは・・・・・・・・・」
「そ、君のことよ。刹那」
と茉莉は優しい笑みを浮かべた。狗狼も頷いて
「なら話しは早い。早速書類の偽造をしよう」
と必要な物を指折り数えはじめた。刹那はまだ理解してないようで、
震えている。そして、恐る恐る聞いてみる。
「書類の偽造って・・・・・もしかして・・・・・」
その問には狗狼が答えた。
「無論、向こうの高校へ潜入するための書類だよ。教員のな」
刹那の顔から血の気が引いた。
「なんで俺が教員など〜〜〜!!!」
彼の叫びは地下室の防音設備に押さえ込まれた。

(3)〜臨時講師「暮内刹那」誕生〜
 それからの行動は早かった。まずは、全ての教員の身元や素性を調べ
上げ、その中で「お休み」をとってもらう人間を選ぶ。選ばれた人間に
は悪いが、任務のためである。この人選にひっかかったのは、社会科の
柳田先生である。誠実な人柄か、真面目に勤務しているので「真紅」か
ら特別休暇をさしあげることにした。
 柳田先生。交通事故のため全治6ヶ月。柳田先生の車をいじった茉莉
は心の中で「ごめんなさい」と謝った。無論、匿名で入院先に見舞いの
花束も贈ってある。だが、茉莉ほどのメカに関する知識がなければ、予
定どおり6ヶ月という入院にとどめることは難しかっただろう。
 その後、都の教育委員会のデータバンクをハッキング。臨時講師の枠
に「暮内刹那」の名前を入力。無論、卒業したとされる大学をはじめ、
必要な機関のデータを改竄。ぬかりはない。これらは狗狼がおこなった。
 その頃の刹那はというと、今更ながら勉強をしていた。そう、教える
はずの「社会科」を・・・・・・
「今更俺に勉強させてどうなる?」
とは彼の弁。だが、茉莉も狗狼も刹那に勉強させた。教えられない教師
ほど怪しく思われると言うのだ。
 柳田先生の事故から3週間後。喫茶「夢幻」に教育委員会からの通知
が届いた。刹那宛である。茉莉も狗狼も目を会わせ、頷き合った。ここ
までは台本どおりである。刹那の勉強も終わりに近づき、臨時講師「暮
内刹那」の誕生は間近であった。

「ブワハハハハハハ・・・・・」
夜の喫茶「夢幻」から爆笑が響き渡る。店のなかで刹那が教師の恰好を
していた。紺色のスーツに、いつもとは違うダテ眼鏡。ネクタイも締め
たその姿は・・・・・・
「ま、まるで教師のコスプレだなぁ〜」
「わ、笑っちゃダメよ。狗狼・・・・」
そういう茉莉も口元に手を当てて笑いを必死に堪えている。細身の刹那
は普段は優男である。そして、なによりも正装と縁のない生活のせいか、
見慣れないその姿に茉莉も狗狼も笑いを誘われている。
「いちいち笑うなよ!!」
当の本人は仏頂面である。本人が自覚しているのだ。これほど恥ずかし
いことはない。狗狼が笑いをこらえつつも
「ま、まるで『針金の着せ替え人形』だな〜」
といった。刹那は長身で細身の男である。言い得て妙とはこのことだ。
刹那はぶすっとふくれている。変なとこで子供っぽいのだ。
「普段は着ていないんだ。違和感があって当然だろ!」
と刹那は声を張り上げるが、かえって逆効果になっている。ムキになっ
て反論すればするほど二人は笑う。
「笑うなよ!」
「い、いや・・・これは・・・記念に写真でも撮っておこうかの?」
と狗狼が一眼レフを取り出す。茉莉も口元に手を当てたまま、
「そ、そうね。どう刹那。記念にとっておいたら?いい想い出になるわ
 よ?ねえ」
と刹那をカメラの前に引っ張ってこようとする。
「うわ!やめろ!俺はもう脱ぐんだ!!」
「勿体ないじゃない!せっかく着たのに」
「いいんだよ。明後日から嫌でも着るんだから!!」
「今の方がいいわよ。絶対」
「何を根拠に?」
「・・・・・・・・・・・・」
茉莉は黙っている。狗狼はファインダーを覗き込んだまま、動かない。
おそらく、二人のやりとりをみているのだろう。
「・・・・・根拠はないけどやっぱり今がいいわ!!」
「絶対にイヤじゃぁぁぁぁ!」
と背広を脱ごうとする刹那と強引に着せようとしている茉莉の壮絶な戦
いは、夕暮れの修羅場まで続くのであった。狗狼の「店が混んでいるん
だ手伝え!」がなければ、今もずっと戦いは続いていただろ。
 ちなみに、茉莉は店の手伝いをしている。夜に来る客だけが知ってい
る看板娘なのだ。年齢は刹那と同じく不詳だが・・・・・・
 深夜。「夢幻」の店内。刹那はすねて店の椅子に座っていた。原因は
茉莉との戦いであり、二人に笑われたことである。
 無意識のうちに手が首元のネックレスに触れている。刹那の瞳はここ
ではない、どこか懐かしい場所を見ていた。
「・・・俺が教師だってさ。君はどう思う?笑うのか?なあ・・・」
最後の方はあまりにも小さく聞き取れない。ネックレスの先には、ロケ
ットがついている。写真があるようだが、光の反射で見えない。
「戦いしか知らない俺が教師か・・・この国は本当に平和だよ。あの頃
 が嘘のように思えてくるよ。あの血と屍の山を走り回っていたあの頃
 が、今は質の悪い夢に思えるよ。だけど・・・君の形見をこうして握
 ると思い知らされるよ。『これは現実』なんだってね・・・」
椅子の背を軋ませ、刹那は思いを馳せる。地獄のような戦場を走り回っ
ていた数年前のことを。刹那の心には迷いがあった。
「俺ができること・・・か・・・」
しばらくして、刹那のなかで答えは出たようだ。刹那はネックレスを力
強く握り、
「ま、やるしかないのか・・・」
と何気ない口調で呟いた。

(4)〜新人講師のそれさえも平和(?)な日々〜
「え〜・・・事故により入院されている柳田先生に代わりまして、しば
 らくの間君たちの教鞭をとることになった暮内だ。よろしく」
と刹那は最初の時間に自己紹介をした。場所は2年C組。問題の天都美
姫が所属しているクラスである。刹那はさりげなく教室を見渡す振りを
して、美姫を捜した。すでに職員室で美姫に関する資料全てに目を通し、
顔も写真で覚えはしたが、やはり実際に会ってみないとガードの方法が
とれない。
『そうそう。その調子よ刹那』
刹那の耳元で茉莉が囁く。実際には刹那が髪の毛に隠しているイヤホン
から聞こえるのである。刹那は小さく。
「うるせえ!俺は好きでここにいるんじゃねぇ!」
と返した。そう、結局刹那は好きでいるのではない。初出勤の日も、茉
莉に出くわし(というか、茉莉が店に泊まっていった)、散々に笑われ
たのだ。せっかくやる気になっているのに、水を差されては気分も悪く
なるものだ。
「それでは授業を始めたいと思うんだが・・・・・」
そこまで言って刹那は気づいた。なぜか生徒の数人が笑っているのだ。
「どうしたのかな?」
と刹那はその生徒に聞いてみる。その生徒は明るく答えた。
「先生。今朝転んだでしょ?階段で」
「・・・あ、ああ。そうだが」
「先生。後ろにごみがいっぱいついてますよ」
刹那は上着を脱いで見てみる。確かにゴミがついていた・・・・・
手で落ち着きを装って払う。
「先生」
また先ほどの生徒が声をかける。
「今度はなんでしょうか?」
「先生。靴下の色が違いますよ」
言われて足元を見る。赤と白だった。その言葉に堪えきれなくなったの
か、生徒達は一斉に笑い出す。耳元にも笑い声が入ってくる。茉莉が笑
っている。刹那はあくまで冷静なふりで、
「あ、ありがとう。え〜と・・・君の名前は・・・・」
「天都です。天都美姫。覚えておいてくださいね。先生」
美姫は微笑みながら名前を言った。最後の「先生」というフレーズには、
親しげな印象があった。他の生徒も男女問わず、この臨時(ドジな)講
師に好意的な印象を持っているようだ。
 生徒の忍び笑いが続いている。刹那は内心、慌てていた。教師経験は
全くない。それ以前に、彼の普段いる世界とは正反対も良いところの世
界。狼狽が顔に出ているらしい。生徒達の笑顔は消えることがない。
「と、とりあえず授業を始めます」
刹那はそう宣言すると、チョークを取り出し授業に入った。

 暗闇。太陽が出ているはずの日中でもその部屋は暗闇に閉ざされてい
た。何も写さず、何も見えない、本当の闇。その闇の中を蠢くものがあ
る。小刻みに震えている。
「くふふふふふ・・・・・次は・・・次は君の番だよ。ふふふ・・・」
笑いに震えるその手らしきものには、一枚の写真が握られている。写真
がわずかな明かりに光る。そこには、美姫の姿が写されていた。
「ふふふふ・・・君も。君もボクのコレクションに加わるんだ」
下卑た笑いは、嘲笑ともとれる。写真を見ながら笑う声は、男のもので
あった。深い闇の中に更に濃い影が増える。
「・・・それぐらいにしておかないと、組織に何を言われるか分からな
 いわよ」
女性の声だった。冷たくもあり、どこか物憂げな声。笑い続けている男
に注意をする。
「あんただけじゃなく、あたしにもしわ寄せは来るのよ?覚えているの?」
「大丈夫、だいじょ〜ぶ!ボクに任せておきたまえ・・・・くふふふふ」
女は両手をあげ、席を立つ。
「あたしは戻るわ。いつまでもここにいたら怪しまれるもの」
「・・・そうか。でも、仕事の実行は?」
「・・・そうね」
女は少し考えたが、やがて
「テスト終了後ね。気がゆるんだ所をやりましょう」
「わかった。くふふふふふふふ・・・・・・」
そして、すべては深い闇に閉ざされた。

 初日から刹那にとってはハードな一日だった。慣れもしない教師生活。
まして、前任者の引継もできていないままの授業。その日、刹那の持っ
た授業は全て復習となった。生徒のためというよりも、刹那のためであ
る。職員室に荷物を置いて、席に着く。
「はぁ〜・・・・・・疲れた・・・」
ぐったりとして机に突っ伏す。慣れもしない事への緊張とストレスに彼
は打ちのめされている。
「あの、暮内先生」
女性の声に顔を上げると、同じ社会科の女性教師が立っていた。
「なんでしょうか?」
「お電話です。紫藤という女性なのですが・・・・・」
「ああ、ありがとうございます」
刹那は礼を言って受話器を受け取る。
『もしもし?刹那』
「ここにいる時に連絡をとってくるなよ。それに、無線があるだろ?」
『無線じゃ怪しまれる会話はこっちが自然で良いでしょ?』
「・・・・で、何があったんだ」
電話向こうの茉莉は急に声のトーンを下げた。
『仕事よ。真紅のね』
「今は任務中だ」
『任務に関わる仕事よ』
その言葉に刹那の目が細められる。だが、それも一瞬のことですぐにい
つもの頼りない恰好を装う。
「それで、どこで待ち合わせすればいいんだ?」
『2100時。場所は現無き場所で』
「わかった」
刹那は受話器を戻す。午後9時に喫茶夢幻に集合。簡単な暗号だが、普
段はこれで充分通じる。
「あの〜」
さきほどの女性教諭が声をかけてくる。
「どちら様でしたの?」
不躾は思いますが、と付け加えて刹那に聞いてきた。
「ああ。大学時代の友人です。仲間が集まるみたいなので、連絡をくれ
 たんです。仲間って大切ですね」
と適当な言い訳をして誤魔化した。刹那の頭には、すでに仕事のことが
思い浮かんでいた。


続く


To Be Continued !!

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