メギドの日

自堕落適当攻撃的日記。
上が旧くて下が新しいヤツです。


2002年 10月 9日

世の中には困ったヤツと言うのがいて。
勿論、そうでない人もいて。

などと書いてみたが、俺の周りには比較的後者が多く、俺自身が前者に分類される。
どちらかと言えば俺は友人関係には恵まれている事もあって、随分と方々に迷惑をかけて生きている。
俺からすれば有難い事が多いのだが、その分迷惑をかけていると思うとなかなか頭が上がらない。
いつか恩返しができたらいいな、とは思うが、それまでは相変わらずあちこちに迷惑をかけながら生きてく事になるんだろう。
それでも付き合いを止めずにいてくれる友人関係には感謝しきりである。

世の中にはそうでもないのもいる。

まあ、有り体に言ってしまえば都合のいい時にのみ人を頼ってきて、しかも見かえりは無しって事だ。
尻拭いや後始末の類を日とに泣き付いておいて、事が終わるとしらん振り。
周りの人間は利用する対象、とでも思ってるんだろうが、その分こっちはちゃんと悪い印象を持ってあげてますからねー、と嫌味の一つも言いたくなるものだ。

で、今、俺の最至近距離にいるのがこの手の人間。
誤解が無いように言っておくが、このサイトに来てる、或いは見てる人間ではない。
こいつのやったヘマの後始末を俺がする、という運びになった訳で、巻き込まれたこちらはイイ面の皮である。
詳細はデリケート&プライベートに関わる問題なので書けないが、要するに愚痴の一つくらい言っておかないと発散できないってことさ。

実際問題として、独力で解決できない問題というのは厳然と実在する。
当然、無い訳が無い。
そこで知り合いや友達を頼るのは悪いことだとは思わない。
だが、その後こそが問題で、お世話になった人ってのは、それが友人であれなんであれ感謝で自然に頭が上がらなくなる相手だと思うのよ、俺。
恩返しができるかできないかではない、恩返しをする気があるのか無いのか、の問題だ。

こいつに関して言えば、後始末のが終わったら平然とトンズラする事は事前に見当がついている。
頭に来るが仕方ない、やれるだけはやってみるが、こっちだってムキになって物事に当たるほど余裕がある訳じゃあない。

という訳で、後始末が上手く行かなかったら俺はこいつを見捨てる。
いくら俺でも、そこまで甘い顔は持っていないのである。


2002年 10月 28日

ぎろん【議論】名詞。
問題を解決するために、意見を論じたり、批評をしあったりすること。
また、その意見や批評。

ろんじる【論じる】他動詞。上一段活用。
1・道理をのべる。理屈を言う。
2・言いあらそう。議論する。
3・問題にする。

ひひょう【批評】名詞。
物ごとや、人の行動・意見などの善悪・美醜・価値などについて考えを述べること。

以上、小学館新選国語辞典より。

 

コミュニケーションを途中で放棄しておきながら、それを【議論】とは言わないのである。
まして始めから人の意見に耳を貸さないのなら、それは【議論】とは言えないのである。

問題を解決する気がない言い争いは議論とは言わない。
日本語は正しく使うべきであって、辞書の意味を勝手に書き換えるような真似はすべきでない、とだけ言っておく。


2002年 11月 4日

以前から俺は「コミュニケーション」というものについて、随分重要視した発言を行ってきた。
勿論、今でも考え方は変わっていない。
俺にとって、コミュニケーションとは極めて重要な意味を持つものである。

俺はこう見えて、結構思想的な人間である。
どちらかと言えば理想論が現実論より好きだし、原則論が好きなところなんか、まさに思想家的な性格をしている。
また、「真理」とか「法則」と言ったものの追究が好きであるところなんかも、いかにも思想家っぽい側面だと我ながら思ったりもする。

さて。
こういった自分の「思想」というものは、自分の中にとどめてある限りは決して完成しない。
表明しなかった意見には意見の価値がないのと同じで、言葉として現れなかった思想には思想としての価値はない。
演奏されない楽譜を名曲とは呼ばないのと同じ理屈である。
自分以外の人間が存在を感知できない思想など、思想とは呼ばないのだ。

では、こういった自分の頭の中にあるものを、人に理解してもらうために必要なものとは何か。
それがコミュニケーションである。
コミュニケーションとは、何も面と向かい合って言葉を交わすことだけではない。
手紙でも成り立つし、或いはこうしたサイト運営において、色々と言葉を並べていくことでも成り立つ。
言葉によって、自分を表現していくこと、それが俺の考える「コミュニケーション」である。

であれば、思想を持つがわがすべきことは、なるべく正確に「言葉」を以って、自分のうちにあるものを表現していくことであろう。
そうする事によって、自分の中にあった時は完全であった「思想」も、綻びや矛盾が見つかってくるはずだ。
これを修正し、より完成された形を求めて思考錯誤を繰り返していくうちに、思想は思想足り得るまでの完成度を持つに至る。
繰り返すが、自分一個の中にある限り、思想は思想とは呼ばない。
自分以外の人間が言及できてこそ始めて思想足り得るのだ。

故に、俺は自分の思想を披瀝するにあたって、言葉を大切に使いたいと思う。
なるべく多くの人間がなるべく正確に理解できる形で表現されるべきだと思うからだ。
これはそのまま「コミュニケーション」であるといって何ら差し支えはあるまい。
コミュニケーションの真髄もまた、正確で分かりやすい言葉によるやり取りだからだ。

だから、コミュニケーションを中途で放棄して思想を語るなら、それは思想とは俺は認めない。
それは単なる「我侭」の披瀝であり、自己中心的思考の披瀝である。
完成を放棄した思想は思想にはあらず。
自戒の意味を込めて書いておこう。

つか、「コラム」向けの話だよなあ、これ。


2002年 11月 11日

ここ暫く文句ばかり書いてきたような気がするので、今日は軽い話を。
しかも、出来る限り短く。
お題は「マンネリ化してきた生活を打破する方法」、これを三つばかり。

1:箸をいつもと反対の手で持って飯を食う

騙されたと思ってやってごらん。
本当に騙されるから
思ったより大変で、いかに普段、利き腕というものに頼っているか実感できるから。

2:洋式トイレの人は便座の上に和式トイレ風にこしかけて用を足し、和式の人は、便器に座り込んで用を足す

洋の東西の違いに思いを馳せるのがポイント。
きっと貴方を哲学の世界へと誘ってくれるだろう。

3:先に日記を書いてから、その内容の通りに行動してみる

大変とかそう言うレベルじゃなくて、不可能。
でも案外面白い。
躍起になって行動している自分を再発見できるぞ。

という訳で、ごく短い日記でした。
おしまい。


2002年 11月25日

今回のキーワード。

「〜〜のクセに」

そう、ジャイアンがのび太に使うアレである。
なんの話かというと、旅行のハナシね。

まあ、色々あった訳だが、一言で言って今回の旅行は「惨敗」であった。
あまり詳しく書きたくないので、さらりと流すように書くとしよう。

まず、旅行の始まりからして1日延期。
いきなり病院に俺が担ぎ込まれ、その上変な薬を打たれたので車の運転ができなくなったのと、治療費でお金がなくなったのが原因だ。
まあ、ここまでなら去年の旅行とそう変わらなかったのだが、名古屋を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなってきた。

まず、今回の目的地は高野山。
あの金剛峰寺である。
何しに行ったかと言うと、要するに「おのれ高野山! 許すまじ!」と叫ぶために行ったのである。
なんのことか分からない人はAIRをやって下さい。

で、名古屋を過ぎて鈴鹿あたりから、それまで使っていた国道1号線を下りて国道25号線というのを使うことになる。
地図を見る限り、25号線にはバイパスがあるが、有料道路のようだ。
有料はできる限り使いたくないので、山道である25号線の旧道を使用する事に。
この時点で、今回は敗北が決まっていたといってもいい。

乗ってみた25号線は………獣道でした。

およそ10キロ以上に渡って、車が通る事自体が奇跡に近い道を延々と走らされる。
途中、時々2車線になるが、100メートルも走れば再び獣道へ逆戻り。
奈良盆地に出て、少し道路の幅が広がった時に出た言葉は

「25号線のクセにナマイキな」

やがて、25号線旧道は突然途切れ、バイパスに合流する事になってしまった。
有料道路に乗ってしまった、と言うことで憂鬱になったものの、いつまでたっても料金所らしきものがない。

俺:「ひょっとしてここ、有料じゃない………とか?」

Z:「そうかも……」

で、取り敢えず地図を確認してみた所。

25号線バイパスは有料道路に見えるが実はタダ。

やられました。

さて、山道を抜けて和歌山県にはいる。
散々迷いながらとにかく金剛峰寺に向かって車を進めていくが、バスが邪魔。
タダでさえ道がアホみたいに狭いのに、マイクロバスならともかく、大型観光バスが我が物顔で走り回っている。
何度も正面衝突しそうになった。
こちらは車線を守っているのだが、相手がはみ出してくるのである。

漸く金剛峰寺についたら、寒い事寒い事。
予定通りに叫んでみたものの、気分は全く晴れませんでしたとさ。

で、メーラーがぶっ壊れてて(再インストールで治った模様)メールが届かなかったものの、一応と言うことで、京都にはいる前にきゅーさんに電話をかけてみる。
まあ、突然と言うこともあって、今回は会えないと言うことになってしまったが、これはこっちが悪いので仕方ない。
むしろ、突然電話してしまいまして、申し訳ありませんでした。

さて、京都ではノーマナーの車に散々迷惑をかけられつつ、更に渋滞には巻き込まれるしで惨憺たる目に逢いながら、とにかくもうひとつの目的である東本願寺でのライブを見に行く事に。
時間潰しに京都巫女さん見学ツアーなどしてみるが………まあ、ノーコメントと言うことで。
肝腎のライブは………これもまあ、ノーコメントと言うことで。

で、とにかく京都を脱出して、関西方面で散々溜まったストレスを吐き出すべく、今回の最大の目的である月天へ。
月天は名古屋にあるので、とにかく名古屋に入って、駐車場を探して車を停める。
意気揚々と月天の前に付いたのは、間もなくAM.1時になろうかという時間だった。

営業時間:AM12時まで

その場に崩れ落ちる俺たちふたり。
精神的ダメージを食らい、立ち直れないほどに落ちこんだ。

名古屋を出てからは、とにかく熱海を目指す。
熱海で温泉に入るのは今回の旅行の締めにあたるので、途中で土肥に寄りながら伊豆半島を回るのだが。
半年前、工事で立ち入り禁止になっていたホテル前の広場は、見事に改装されていた。
お世話になった公衆便所も現在改装中。
更に、建設中だったペンションも完成していた。
何気にいい気分になり、少しだけ慰められる俺たち。
これだけが今回の旅行の勝利であった。

熱海で温泉に入ったあとは、いつも通りに有料道路を乗り継いで……そして渋滞に巻き込まれる俺たち。
敗北確定の瞬間だった。

三時間近くを渋滞で浪費しつつ、なんとか東京へ帰還。
大敗北を喫して疲れ切った体は、あっさりと眠りについたとさ。

 

この屈辱は明日、CMCで晴らす!


2002年 12月 31日

■さて、今年もこれでお終い。
あっという間に過ぎ去った1年だったのは、俺がすでに若くないからか。

■メーラーの調子が激しく悪いです。
メールが届かなかったり、逆にこちらから出したメールが行かなかったりしてます。
出来るだけこのサイトに載ってるメールアドレスをお使い下さい。
と言うか、このパソコンすでにズタボロ……。
不具合でまくりで、もう寿命なのは目に見えてます。

■冬コミに行こうと思ったら、突然の偏頭痛が。
このえみおさんやきゅーさんといった、是非お会いしたい方々がいるにもかかわらず、鈍痛に苛まれる頭での出撃がいかに甚大な被害を体と精神に齎すかにまで考えを巡らせて、結局今年は見合わせてしまった。
義理とか人情的なものを考えれば、這ってでも行くべきではあったのだが。
ここで自分の都合を優先してしまうあたりが、いかにも俺らしい我侭に思えて鬱。
とはいえ、あそこの人波に当てられて嘔吐しちゃった事もあるしなあ…。

■なんか、掲示板に一言だけ「規約違反」とか書いてった人がいた。
なんかエロゲーコンテンツが規約違反だ、と言いたいらしいが、そうなの?
いやマジで。
18禁コンテンツって、18禁的な「表現」があるコンテンツの事じゃないの?
現時点ではまずいとは思ってないし、これについては問題があればプロバイダさんからなんか要求なり何なりがあるだろうと思ってるんだけど。
という訳で今のところは削除する予定はなし。
放置するって意味じゃなく、俺の判断としてはエロゲーレビューは18禁ではないだろ、ってことで。
勿論、改善要求がプロバイダさんから来た場合は、然るべき措置を取ります。

■今回は箇条書きで。
無題ふうにお届けしてみました。
これ、結構いいかも、前後の脈絡が無くて、でも書きたい事が多い時とか、纏めるのに便利そう。
やりすぎるとただのパクリなので多分二度とやらないけどね。


 

やれやれ、過去ログ置き場はここだぜ、ドララー。

馬鹿なもの読んで疲れたから、もう帰る!!