ACT・1


トーキョーNOVA。
この退廃した巨大都市には、無数の人々が息づいている。歓喜、絶望、過去、未来。様々な思いを、各々の胸に擁きながら。


1・仁義無き戦いの序章

かつて、「ヤクザ」という商売が地上にあったためしはない。だが、その生き様が地上から消え去ったこともない。
ここ、トーキョーNOVAにおいても、それは同じである。
NOVAでも最大の規模を誇るヤクザ、河渡連合。
幾つかの小さな組織が結束して、それは構成されている。
その組織のひとつ、梨谷組。
スラム街の一角にある、通称「梨谷屋敷」では、一月に一度の定例集会が開かれていた。
組長の梨谷静丸は不機嫌であった。
彼は開口一番、構成員達に向かって、その不機嫌さをぶちまける。
「このところ、わしらのシマでヤク(ドラッグ)が出回っているらしいな。今更言うまでもねえことだが、わしら梨谷では、ヤクはご法度だ。当然、どっかの馬鹿野朗がナメた真似をしてるにちげえねえ。」
ヤクザにしては珍しく、梨谷組ではドラッグはご禁制だ。これは彼等が、徹底的な武闘派集団であることに由来している。ヤクでラリった兵隊など、何の役にも立たないからだ。
それが彼らのシマで出回っていると言う。
静丸の不機嫌は、当然であった。
自慢の髯をゾリゾリと撫でている姿は、肉食獣を連想させる迫力がある。
黒いスーツに身を固めた構成員の一人が、つかつかと静丸に歩み寄る。
「これを御覧下さい。」
そう言いつつ、手にしたトランクを空ける。
「昨日、シマで商売をしていたチンピラを捕まえて吐かせたところが、これです。」
トランクの中には、質の悪い、末端価格数十万のドラッグがあった。安いぶん出回り易く、簡単に誰でも楽しめるというわけだ。
静丸は、ワナワナと肩を振るわせて、
「こいつはいってえ、どーゆーことなんでえ!?」
あまりの迫力に、構成員達は肩を竦め、視線を床に落とす。
そのとき、口を開いたものがいる。
「質の悪いヤクですね。一体、どこのブツでしょうか。」
その落ち着いた声は、怒りに震える静丸を沈静化させるものを持っていた。
皆が、その声の主を振り向く。
組織のNO.3、久我勢十郎である。
武闘派揃いの梨谷組の中でも豪腕をもって鳴る、最強とも言われる剣客である。
静丸もやや冷静さを取り戻し、
「うむ。」
とだけ言う。
その声には、勢十郎に対する信頼感が溢れている。
「判るか、勢十郎。」
静丸は手にしていたビニール包みのドラッグを、ポン、と勢十郎の前に放り投げる。
勢十郎はそれを手にとって調べていたが、やがて、
「これは、’猿回製薬’の出来損ないですな。」
「猿回製薬」とは、チンピラ集団、猿回組が隠れ蓑として使っている製薬会社のことだ。表向きは製薬会社ということになっているが、実態はチンピラどもの資金源、という訳だ。
勢十郎の言葉に、
「おめえもそう思うか。」
静丸は賛同の意を表す。
「一丁、シメてやりやすか。」
勢十郎は武断的な性格も露に、そう言った。何せ「やれ」と言われれば、軍隊相手に喧嘩して悔いない男である。
静丸は構成員達を見渡すと、
「このナメた会社のヤサを知ってる奴はいるか。」
その声に、
「知っていやすぜ。」
そう答えるものがいた。
組織のNO.2である、後藤という男である。所謂、「代貸し」という奴だ。
片目がなく、そこには、額から口元にかけての長大な刀傷が走っている。
後藤は続けて説明を開始した。
「スラム街の一等地、つまりは広い土地のことでやすが、そこに怪しげな廃工場がありやす。前々から目を付けていたところ、どうやら、ほぼ間違いねえようで・・・。」
その報告を受けて、静丸はニヤリと笑った。
「行きてえ奴はいるか。」
けしかけるように、構成員達に言う。
すかさず部屋中に喧騒が広がる。我先に手を上げる構成員。
流石は戦闘集団である。
梨谷組では、どれだけ場数を踏んだかで自分の地位が決まる。出入りに赴くのは、自分の地位を高める為でもあるのだ。
「俺が!」
「いや、私が!」
先を争う構成員の中、静かに、だが、無言の迫力をもって挙手したものがいる。
「いや、ここは俺が出ましょう。」
勢十郎であった。
途端に喧騒がやみ、一呼吸置いて、驚嘆のどよめきが場を満たす。
「勢十郎さんだ!」
「あの勢十郎さんが出るぞ!」
挙手していたもの達は一斉に手を引っ込め、勢十郎に対して畏まった。
それが、勢十郎の確固たる、信頼と地位を物語っている。
静丸は髯をいじりながらニヤリと笑って、
「行くか、勢十郎。」
勢十郎も不敵な笑いを浮かべながら、
「行きやしょう。ウチのシマで大層な事をやった奴がどうなるか、良い見せしめにもなりやすぜ。」

梨谷組の現組長、静丸という男は、先代を斬って現在の地位に就いた男である。
これについては、多少の説明が必要になるだろう。
先代は経済ヤクザへの転身を図った男で、どう贔屓目に見ても戦闘派ではなかった男である。これは性格によるものではなく、策謀の結果である。
先代は、伝統的な連合ヤクザから脱する事を図っていた。
良く言って独立を図った訳ではあるが、そのやり方は、河渡連合への裏切り行為でしかなかった。
ある日この策謀の全容を知った静丸は、全組員の前でそれを暴き、先代を真っ二つに斬って捨ててしてしまったのである。
この日から、静丸の地位は、三代目梨谷組組長になったのである。
裏切り行為や、こそこそした策謀を潔しとしない彼の男気に、組員達の信頼は厚い。
元・先代派だった組員達も、徐々に静丸に引かれ、今では全幅の信頼と忠誠を置いているのである。

後藤が情報を収集するとして部屋を出ると、集会は終わりを迎える。
勢十郎は、彼の配下にある若衆に召集をかけ、出入りの準備を始めた。
「勢十郎さん!はやく行きやしょうぜ!」
血気に逸る若い部下の言葉に、勢十郎は苦笑して答える。
「まあ、待て。今、後藤さんが情報を持ってきてくださる。相手の情報を集めねえうちに行動するのは無謀ってものだぜ。動くのは、情報が来てからでも遅くねえ。」
それを聞いて、部下は頭を掻いて謝った。
「すいやせん、つい、血気に逸り過ぎやした。」
「おめえはいつもそうだ。だが、おめえが突っ走るおかげで、俺も冷静でいられるってものだ。」
勢十郎の言葉には、笑いが含まれている。
部下は恥ずかしそうに笑って、
「へへへ、勿体無いお言葉で・・・。」
一同のあいだに、笑いが広がった。


2・忌まわしき記憶

かつて日本が鎖国を決定した折、世界各国は猛反発を示した。
地軸の変動によって荒廃した世界中で、まるで我が世の春を謳歌するが如く、己の利益のみの追求に走った日本に対して、それは当前の反応であった。
折から、今までとは打って変わって、赤道直下に姿をあらわした資源の宝庫、南極大陸の開発に日本の企業群が乗り出した事で、世界情勢は一挙に緊張した。
南極大陸は、ミトラス大陸と名付けられ、各国の共同開発の対象とする事が、条約によって定められていたのだ。だが、日系巨大企業群はこれを無視し、己の利益追求を優先したのである。
幾度かの話し合いが持たれたが、日本側の強固な態度により交渉は決裂。遂に戦端が開かれるに至った。
だが日本と敵対する各国、特に中心を担う北米には、かつての戦力は、もう無かった。
激しい戦いの末、日本と世界各国は戦闘の終結を宣言した。
その条件は、「日本のやることに、口を出すな」というものだった。
世界各国はこの戦闘で、嫌と言うほど日本の実力を知らされたのである。
それに世界的な食糧危機の中、日本の開発したバイオ食料無しでは、もはや世界は立ち行かないほど疲弊していたのである。
世界一の軍事大国、それが日本の姿であった。
これに歯向かうことは、今や現実的な判断とは言えなくなってしまった。
こうして、ミトラス戦争と呼ばれる、無意味な戦争は幕を閉じた。
この戦争は、数々の醜悪な悲劇を生み出した。
その爪痕は未だに、帰還した兵士達の心と体に、深い傷痕を残している・・・。

かつてミトラス戦争において、「死神部隊」とまで言われて恐れられた部隊があった。
傭兵部隊として編成されたそれは、日本軍を大いに苦しめたのだ。
第223狙撃大隊。
それがその名前であった。
だが戦乱も終盤に近づいてきたころ、彼らは突如、壊滅した。
戦闘の結果ではなかった。
それは、上官の裏切りによるものだった。
ある日、いつものように戦闘配置に付いた部隊は、突如背後からの奇襲を受けた。
彼らの背後には味方の部隊がおり、後方の安全は約束されていた筈だった。
その名の通り、長距離戦闘部隊である彼らは、接近戦闘には弱かった。
訳も判らないまま奇襲を受け、それでも必死に抵抗した彼らも半数が死亡し、残った半数は捕虜となった。
死んだ方がましであった。
繰り返される拷問は、敵の兵士の遊びでしかなかった。その苛烈さに、多くの傭兵達が死んでいく。
「彼」もまた、その捕虜の中にいた。
「彼」は、必死でその拷問に耐えた。
死ぬわけにはいかなかった。
「彼」は聞いたのだ。
彼らの上官が彼らを売ったことを。
必死に拷問を絶えぬき、「彼」は脱出に成功した。
そして戦争は終わった。
部隊の生存者は、「彼」一人であった。
ズタズタに傷ついた「彼」の心と身体に、復讐の炎が燃えあがる。
必ず、「奴」を殺す。
死んでいった仲間たちのためにも、俺は必ず、「奴」を殺す!
待っていろ、第223狙撃大隊司令官、陳羅漢(ちん・らかん)!!

スラム街の一角にある、有名なバー「ヤロール」。
その地下に在る秘密の部屋、「イシュタル海」に、「彼」は居た。
極度に明度を下げた、暗黒とも言える部屋の隅のテーブルで、彼は一人、安いバーボンを飲んでいる。
その顔と体には、痛々しい傷痕がくっきりと残されている。バイオ技術が進んだこの世の中で、こんな傷を残した体を持っている奴は珍しい。
その傷痕の意味を知っている者は、この世には彼一人しかいなかった。
仲間たちの仇、味わった苦痛、心に受けた地獄を、ほんの一瞬でも忘れることが無いよう、その傷は残されていた。
彼の名は、李青鵬(り・せいほう)。
かつての「死神部隊」の、唯一の生き残りである。
彼がNOVAにやって来たのは、風の噂に、宿敵・陳羅漢がNOVAに住んでいる、と聞いたからである。
・・・忌まわしい記憶を呼び覚ましてしまったようだな。
バーボンの盃を傾けながら、彼は思った。
李に限らず、この「イシュタル海」には、腕利きの仕事人達が集まっている。
暗殺者、情報屋、雇われ者の殺し屋・・・。
彼らは一様に、一方ならぬ過去を抱えている。
李は、そんな男達が集まるこの雰囲気が好きだった。
誰も互いのことを聴かない、知らない、気に止めない。
一人でいられる時間は、李にとって貴重なものだ。
何杯目かのバーボンを空にした時、部屋の扉が開いた。
姿を現したのは、NOVAでも有数の顔利きの黒幕、マイケル・グローリーであった。
黒幕とは、公に出来ない仕事を引き受け、それを自分の顔見知りに紹介して果たさせるという、いわば仲介役のことである。
それだけに、信用と、顔の広さが物を言う。
マイケルはまだ駆け出しで、しかも若手の黒幕ではあるが、信用という点では立派な黒幕である。
そしてマイケルは、李にとっても、重要な仕事提供者である。
復讐の為にNOVAにやって来た李は、当然の事ながら、始めは不慣れなこの街に戸惑った。それを何かとバックアップしてくれたのが、マイケルその人である。
食わなければ生きてゆくことは出来ない。
当然、復讐を果たすことも出来ない。
そのためには、仕事が必要である。
その仕事を李に紹介しているのが、誰あろう、マイケルなのである。
時として、非常に危険な仕事を持ってくるのには困るが・・・。
そのマイケルは、一渡り部屋の中を見渡すと、躊躇いも無く李の元に歩み寄ってきた。
李は動かない。
やがてマイケルは、李のテーブルに、対座する形で腰掛けた。どうやら彼の用事がある人物とは、李のようである。
「マスター」
マイケルは、良く通る、若々しい声で酒を注文すると、李に向き直った。
「君の狙っている男が見つかった。と言っても、確実な情報ではないが・・・。」
ピクリ、と李の体が動いた。
辛うじてグラスを取り落とすのを避けると、李はマイケルを見て言った。
「詳しく話してくれ。」
マイケルは座る位置を直して、テーブルの上で両手を組むと、
「詳しくといっても、情報自体があまり詳しくは無いんだ。」
「どんな些細なことでも良い。」
マイケルは一つ息を吐いて、呼吸を整えた。
頭の中の情報を整理して、言葉にする。
「河渡連合傘下の、梨谷組というのを知っているかい?」
李にとっては、あまり馴染みの無い組織であった。無論、河渡連合は知ってはいたが。
「済まない、河渡連合なら知ってはいるが・・・。」
マイケルは軽く頷いたが、これは賛意ではなく、どちらかというと、自分の思考を纏める為のものであるようだった。
「では、順を追っていこう。河渡連合の傘下には、幾つかの組があるのは知っているね。梨谷組はそのうちの一つなんだ。」
その事は、李も知っている。
有名なものでは、美人で知られる女組長、音羽南海子(おとわ・なみこ)の束ねる音羽組がある。これらの組が集まって、河渡組を頂点として、一つの巨大な連合ヤクザ組織を構成しているのだ。
「その梨谷組の現在のNO・2である、後藤と名乗る男が居るんだが、その男が今夜、ミスター・チンという男に、接触を取るらしい。」
「ほう。」
中々興味深い情報である。
「場所は判るか?」
逸る気持ちを押さえて、李は訊ねる。マイケルも言ったが、まだ、相手が陳羅漢だと決まった訳ではないのだ。先ずは確認しなければならない。全てはそれからである。
李の心の動きを見透かしたのか、マイケルは落ち着いて言った。
「場所は、NOVAインペリアルパーク。」
NOVAインペリアルパーク。
それは有名な巨大公園で、中を歩き回るだけでも、たっぷり半日はかかる。
「インペリアルパークか・・・。」
やや途方に暮れた、といった様子で、李は繰り返した。
「あんな広いところで・・・。」
だが、相手にしてみれば、当然過ぎる用心である。
後藤という男については何も知らないが、何やら秘密の取引でも行おうというのは、容易に推測できることだ。ならば場所としては、かえって公園のような所の方が、怪しまれない場合が多いものだ。
「パーク内の何処だか、その情報はあるか?」
あまり期待しないで聞いたのだが、流石はマイケルである。
「パークの、中央噴水。そこで会うという情報を得た。」
あっさりと答えた。
「後藤という男の写真などはあるか?」
するとマイケルは、懐から一枚の写真を取り出した。
「間違いようも無いな・・・。」
そこには、額から唇まで刀傷の走った、片目の潰れた男が映っている。この男であれば、間違うことはないだろう。後は、接触してきた相手を確認すれば良い。
それにしても、と、李は思う。
李の体の傷は、彼の味わった地獄を忘れないたものものだが、この男の傷は、一体どのような意味を持つのであろうか・・・。
「時間は?」
「夜の9時。」
ちらりと時計に目をやると、今は午後6時である。
「あと3時間ほどか・・・。」
3時間もあれば、NOVAインペリアルパークには充分間に合うだろう。
「他には、何か情報は?」
李の問いに、マイケルは頭を横に振った。
「接触する、という情報だけだな。詳しい用事も判らない。ただ・・・。」
意味ありげに言葉を区切ると、マイケルは咳払いを一つ挟んだ。
「ただ、ミスター・チンという男は、例のあの事件、君は思い出したくもないかもしれんが、あの事件の直後に現れた人物だそうだが、その頃は名前を変えていたらしい。」
話を聞くうちに、李の体中の傷が疼く。
バリバリと音を立てそうなくらい、皮膚と筋肉が強張るのが判る。
「・・・今夜は、冷えそうだな。」
鮫のような笑いを浮かべて、李は言った。
彼の体から妖気が立ち昇る。
決着の予感が彼をかき立てる。
周囲の温度が、少し低下した様に感じられる。
「貴重な情報、済まなかったな。」
李がそう言うと、マイケルはガタッと立ちあがり、
「いやいや、それでは私はこれで。」
言いながら出口へ向かって歩き出した。
だが突然立ち止まると、振り向いて言った。
「相手は三合会(トライアド:中国系マフィアのこと)の可能性もある。気を付けて。」
「・・・判った。」

マイケルが去ったあと、彼も立ちあがると、
「マスター。つけておいてくれ。」
マスターに言った。
それから紙に自分の口座番号を書いて渡すと、
「俺が今夜中に戻らなかったら、ここから引き落としておいてくれ。」
マスターは面倒臭そうにそれを受け取って、奥に引っ込む。
李はそれを無視すると、階段を上って、夕闇の中を歩き出した。
復讐を果たせたのなら、彼にはもう、生きている目的が無くなる。つけておいた酒代くらい、多目に引き落とされても構わないだろう。
元より、長生きをするつもりは無い彼だった。
愛銃、「サンダーボルト」を肩に掛けて、彼は目的地へと急ぐのだった。


ここから戦略的撤退を行う