〜YOU ARE FREE〜
泉 優驥


〜You are free〜

 雨の中、君は去っていく。ボクの元から去っていく。ボク
には君を止めることはもうできない。止める権利がない。水
色の傘が暗い世界に去っていく。暗闇の中に水色の傘が消え
ていく。ボクと彼女は今日──────別れた──────

 振り返らない君の背中をボクはただ見てる。見てるだけ。
ボクが君にしてあげれることはもうないんだ。でも、なんだ
ろうこの悲しみは。この罪悪感。例え百年かけても、千年か
けても消せない。そんな深い傷を、償いきれない傷を与えた
ようで・・・君に与えてしまったようで・・・・・・・・
 脳裏に浮かぶ君との思い出。君と出会ったこと。大学のコ
ンパでボクと君は出会った。最初は何気ない話しで。いつし
か趣味のことに話しはなっていて、繰り返す、繰り返される
会話の数々。それからもボク達は会い続けた。大学の友達は
驚いていたよ。ボクと君がつき合っていたことに。親友は、
お似合いだね、と言ってくれたね。全てが輝き、楽しく、瞬
間にすぎていった日々。時間。

 君の別れ際の言葉に返す言葉もなくて、ただ力つきたよう
に立っていたボク。涙を流していた君。激しい雨音だけがボ
クの耳に残った。彼女の涙。頬を伝う。与えられた罪科。ボ
クが背負うべき罪。君に残ったのは心の傷。決して癒される
ことのない深い傷。償いきれない深い心の傷。
 少しだけ。もう少しだけこのまま横を歩いてくれないか?
別れの最後の、最後の時まで。12時の鐘がなって君にかか
った魔法がとけるその時まで一緒に。別れてもボクは君のこ
とを愛してしまうから。きっとボクは明日もここへ来てしま
うだろう。君もここへ来てしまうだろう。愛しているから。
明日、また逢える気がする。いつもの夜だね。君がボクの肩
にもたれてみせる。それはまるで恋人のように。恋人の仕草
で。ボクも君を受け入れる。恋人のように。恋人の仕草で。

 君の背中をボクは見続ける。君の背中が遠ざかっていく。
輝いた日は終わり、夜が来る。雨が降る。いつやむとも、い
つ明けるとも知れない長い長い時間がボクを待っている。
ボクや君の仲間、友人には別れた訳を聞かないでと願うばか
り。それだけを願っている。だって・・・だって君は優しい
から。心優しいからボクのことを精一杯、精一杯きっとかば
ってしまうだろうから。君が傷つく理由などないのに。ない
はずなのに。君はボクのことをきっとかばってしまうから───
かばって、また君は傷ついてしまうから・・・・・・

 激しい雨の中でボクは目を閉じる。瞼に浮かぶのは君との
毎日。朝、君の声に起こされる。朝の光が眩しくて、君の笑
顔が眩しくて。君の作った朝ご飯。おいしいよ、って言うた
びに頬を朱に染めて。その仕草が愛らしくて───────
 駅の改札。改札の側に君がいる気がして。そこに息を切ら
したボクが来るようで。頬を膨らませて怒る君。謝るボク。
いつも君が許してくれた。笑顔で許してくれた。天使の笑顔
で、ボクを許してくれた。
 昼。大学の講義が終わると中庭で待ち合わせ。木陰にシー
トを広げ、君の作ったお弁当を食べる。君の頬についたオベ
ントウ。ボクが指でとってあげる。うららかな日々。きらめ
く陽光。君は光の中にも映えていて、ボクを元気にしてくれ
る。ボクだけの天使。それが君だった。
 夜。バイトを終えて家に帰る。6畳部屋の安アパート。ド
アを開けると君が待っていてくれる。君の声で、君の笑顔で
ボクは癒される。君の作った夕食を一緒に食べて、君はボク
の部屋に泊まっていく。寒い夜は抱き合って寝る。温かい君
の肌。切ない夜に君はボクに言った。キスして、と。涙を流
して言っていた君の顔は綺麗だった。ボクは君を受け入れて、
君はボクを受け入れた・・・・・・

 ボクの側に君がいて、君の側にボクがいて、ずっとこのま
までいようね、と誓った。それから数年。ボク達は一緒にい
た。雨の日も。風の日も。二人で力を合わせて。お互いがお
互いを必要として。今思うと、ボク達はあの頃は今を愛する
ことに精一杯で、いつも何か大事なモノから紐を解いてしま
うような、そんな二人だったね。その時、その一瞬だけを精
一杯大事にして、その瞬間だけのために頑張っていたね。
 明日と言う名のドアを叩くのが恐かった。未来という名の
部屋へ行くことができなかった。結局、ボク達は逃げていた
んだ。まわりのモノ、全てから・・・・・・・・

 別れることを君に告げる。君は自分を責めていた。違うん
だ。悪いのは全部ボクなんだ。ボクのせいなんだ。君が悪い
訳じゃない。君もボクも、もうこれ以上戻れなくて、進めな
くて──────────────そして、涙がこぼれた。
 無理に微笑む笑顔。どこか痛々しくて、とても悲しそうで
ため息をつくだけでも壊れてしまいそうで。君は自分を責め
てばかりいた。君のせいじゃない。ボクのせいなんだ。責め
るならボクを責めてくれよ。いつもボクは君を愛しすぎたん
だ。まるで終わりを急ぐみたいに。ボクは傷つくことを選ん
でいた。君は何も知らないままだった。君が知らないまま時
間は過ぎていってしまったんだ。
 だけど、これだけは覚えていて欲しい。例えどこで巡り逢
っても、ボクは君を愛していたはず。君の声を、君の温もり
を、君の全てを。ボクの目に映る景色。凍えそうで、冷たい
景色。全てが終わったんだ。ボクと君との全てが。

 君の背中が小さくなっていく。きっと君は家に帰って枕を
濡らすのだろう。でも君はやっと自由になったんだ。ボクか
ら自由になったんだ。君が悲しむことはもう・・・ない。
枕を濡らして、目を腫らせて、自分を責めて。君のことがボ
クにはわかる。君と過ごす時間が多かったから。君のことを、
君の全てを知ってしまったから。
 だからボクは祈ってる。君が無事に一つ目の夜をこえるこ
とを。もしも一つ目の夜をこえれたら、二つ目の夜もこえて
みよう。寂しさと悲しさの微熱が続いても、君ならこえられ
る。耐えられる。ボクは君の強さを知っている。
 だけど、だけど君はボクのこと、きっと想わずには、想わ
ずにはいられないかもしれない。また繰り返してしまうかも
しれない。悲しい夜を。枕を濡らす日々を。
 だけど、ボクは信じている。君は間違えずに歩いたことを。
ボクから離れたことを。ボクは信じている。君の強さを。

 もしもこれが夢であったら。夢であるように願うよ。何度
も願うよ。ボクがうつむいたまま囁いた言葉を何度も繰り返
す。君がうつむいたまま囁いた言葉何度も繰り返す。哀しく
繰り返す。何度も・・・何度も・・・
 激しい雨がボクを包み込む。ボクは濡れるがままになって
いる。激しい雨にボクの弱い心は強く打たれて、ボクが犯し
た全ての罪を、彼女に償いきれない傷を与えてしまったこと
を、全ての罪を流して欲しかった。これが夢であるなら・・・

 君と生活を始めた頃。それは、期待と不安に満ちあふれて
いた。二人だけで全てを行う。二人だけの生活。だけどボク
には君がいた。君にはボクがいた。だから大丈夫だった。
二人で過ごす時間。やわらかな季節を感じながら歩けるよう
な恋だった・・・・・・・・
 瞳を閉じてあの日を想う。今の状況が夢であるようにと。
風に抱かれて笑っていたんだボクと君は。でも今日からは
違うんだ。独りだけの夜をボクは過ごして、そして朝日が差
す頃にボクの腕の中。ボクの腕の中に眠る君の優しい幻をみ
てしまうのだろう。
 君との思い出は心の奥で永遠に輝く。だけど、これだけは
伝えたい。君との日々、君といたときのボクはありのままだ
った。本当のボクだった。偽り無い、本当のボクの気持ちだ
った。ボクの名前を呼ぶその時の君の笑顔。その笑顔が一番
好きだった。振り向くと君はいつもそこにいてくれた。そこ
に君がいてくれたあの頃を・・・・・ボクは思い出して、想
ってしまう。君のことを。そして願わずにはいられない。
この現実が夢であるように、と・・・・・・・・

 君と別れるという現実にボクは今夜から打ちのめされる。
もう独りだと思い知らされてしまう。もしも叶うなら、君の
中で今夜は眠りたい。ひとときの安らぎ・・・それでもいい。
そして明日に向かってもう一度だけ、もう一度だけ君と過ご
した季節を取り戻したいんだ。本心は・・・・・・・
 君と別れても眠らないこの街は変わらない。何も変わらな
い。時間だけがただ、過ぎ去って行くのみ。君の面影は次第
にボクの中で沈んでいくだろう。いつまでも思い出だけを抱
いているのは体によくないと知っているけど、それでもボク
は君との思い出を抱きしめる。ボクは戻れない時間の中を彷
徨っている。これから幾つもの出会いが通り過ぎていっても、
君の笑顔だけは消えはしない。

 変わらないこの街の景色。ボクと君にとってはもう違うモ
ノになってしまった。ボクは深呼吸する。深呼吸して一歩踏
み出そうとする。二人で過ごした日々、時間、景色が背中で
遠ざかっていく。思い出という名の箱へしまわれていく。
 ボクの本当の気持ちは君も分かっていたはず。そう、君と
同じ気持ち。いつか描いていた未来へもう一度歩き出したい。
君と二人で。例え全てを失っても、何かが生まれると信じて。
ボクと君だけの間に変わらぬ愛があることを信じて。
 でも、今は冷たい現実だけが残る。ボクと君との出逢いは
遠い日の奇跡だったのかも知れない。凍える体を両手で抱き
しめて、ボクは君と反対方向へと歩き出す。
「・・・・・・・それじゃね」
とボクが呟く。二人の別れの最後の会話。愛し合った者同士
の最後の会話。ボクから切り出した別れの会話。
「・・・それじゃね・・・」
と君が呟く。君はボクの気持ちを知っているから別れる。
ボクは君の気持ちを知っているから別れる。

 君は君の朝日に向かって歩いていく。ボクにできることは
もう何もない。夜の闇、人込みの中に向かう背中をボクは見
ている。ボクにできることはもう何もない。

 君は間違えずに歩いたんだ。ボクから────離れた。

end.


「後書き」を読む

ここから戦略的撤退を行う