〜〜ジョジョエア番外SS・神尾観鈴誕生記念会〜〜

幸・ザ・ボス



「誕生日おめでとう、神尾さん」
「……おめでとうございます、ぱちぱちぱち」
「にはは、ありがとう、川口さん、遠野さん」

 その日、神尾家は久し振りに来客で賑わっていた。
 常日頃は、近所との付き合いはあっても滅多な事で来客など訪れず、また、家に人の気配があることすら珍しい。その神尾家がこれだけ賑わいを見せている理由とは、この家の一人娘、観鈴の誕生会が開かれているからである。
 ざっと見回してみただけでも、大小老若男女取り混ぜ6、7人が広くもない神尾家のリビングに居座っている。

「……進呈です」
「これ、私と遠野さんからのプレゼントよ」

 観鈴と同じクラスの川口茂美と遠野美凪が、綺麗な包装を施された分厚い物体を差し出した。
 手に取ってみると、想像していた以上に重たい。観鈴の細腕では、支えるのも中々骨が折れる。

「わ、ありがとう。あけてみてもいいかな?」
「勿論よ」
「何かな何かな〜♪」

 どこかのコマーシャルにでも流れていそうな節をつけて、怪しげな歌を歌いつつ、包装を解いていく観鈴。
 乱暴に破り捨てたりせず、テープを剥がしながら包みを開いていくところが、観鈴らしい細やかな心遣いである。友達から貰ったプレゼントは、観鈴にとっては包装紙までもが大事なものなのだ。
 包みを開くと、ダンボールの箱が出てくる。ガムテープで止められたそれを開くとそこには。

「わっ、『JOJO A - GO!GO!』だ! ありがとう川口さん、遠野さん、わたしすっごく嬉いっ」

 涙を流さんばかりの表情になって、観鈴は分厚いJOJO A - GO!GO!を抱き締めた。
 生まれて初めて友達に祝って貰えた誕生日で、自分が欲していたものをプレゼントされる喜びに観鈴は浸っていた。

「神尾さん、JOJO好きだもんね。よかった、喜んで貰えて」
「……少々お値段が張りましたので、私と川口さんの共同プレゼントということで」
「うんっ、ありがとう、2人ともっ」

 そう言って観鈴は、向日葵が咲き誇るような笑顔を見せた。笑顔の中にも儚さを持っていた過去の観鈴は、そこにはもういない。そんな観鈴の姿を見て、美凪は一言。

「……そこで次の神尾さんのセリフはこうです。『家宝にさせてもらうねっ』」
「わたしの家宝にさせてもらうねっ……ハッ!」
「はいはい、漫才はいいから」

 茂美が苦笑しつつ、二人の息の合ったコンビネーションを止める。この二人は学校でも常にこの調子で、ことある毎にジョジョネタを言ってはクラスを沸かせているのだ。
 何せクラスで久し振りに交わされた二人の会話は「君が遠野・美凪だね?」「……そういう君は神尾・観鈴」だったのである。
 以来、二人は究極のジョジョネタコンビとしてつとに有名になり、クラスのチョコラータとセッコだとかツェペリ男爵とスピードワゴンだとか言われている。ついでに言うと、茂美も実は隠れジョジョマニアだった事が露見し、三人合わせてクラスのワムウ・エシディシ・カーズだとか囁かれているのだが、それはまた別の話だ。

「でも本当に嬉しいよ、ずっと大切にするね」
「よかったねぇ観鈴ちん。それじゃ、今度はあたしからのプレゼントだよぉ」

 そう言って手提げ袋を観鈴に差し出したのは、霧島医院のバンダナ娘、霧島佳乃である。
 元々人懐っこい佳乃は、観鈴と知り合ってからすぐに仲良くなった。佳乃の方が一学年下になるのだが、そんな事をまるで感じさせない仲の良さが、この二人にはあった。

「わ、ありがとうかのりん。あけていい?」
「もっちろんだよぉ」

 観鈴が手提げ袋のテープを剥がすと、中からはCDサイズの四角いものが出てきた。可愛い柄の包装紙で丁寧に包装してあり、プレゼント用のピンク色のリボンがくっついている。
 包装紙を剥がしていくと、そこから出てきたのは。

「うわぁ、第3部の格闘ゲームだ」
「えへへ〜、ちょっと奮発しちゃったよぉ」
「ありがとう、かのりん」

 観鈴は満面の笑顔で言った。
 ずっと孤独な誕生日を送ってきた観鈴には、友達からの温かさが込められたプレゼントが嬉しかった。

「いっぱいプレイして、早く強くなってねぇ」
「うんっ、観鈴ちんふぁいと!」
「自信がついたらあたしのアレッシーと対戦しようねぇ」
「うん、クロスファイヤーハリケーンスペシャルをお見舞いしちゃうよ」
「こらこら二人とも、遊ぶのもいいがちゃんと勉学にも勤しまなければ駄目だぞ」

 保護者然とした口調は、佳乃の姉のマッドドクター・霧島聖のものである。
 その聖は、自分のカバンから包装されたものを取り出し、観鈴に差し出した。

「神尾さん、誕生日おめでとう。これは私からのプレゼントだ」
「先生……ありがとうございます」
「何の何の、妹の大切な友達なんだ。これくらいは当然だろう。これからも佳乃を宜しくな、神尾さん」
「はいっ、こちらこそ」

 友達、という言葉は観鈴にとっては重たい言葉だ。
 その言葉を自分に向けて言ってくれる霧島姉妹に、観鈴は心の底から感謝した。

「先生、あけていいですか?」
「勿論だとも。是非あけてくれ」

 観鈴が包装紙をあけると、ビデオカセットがそこから出てきた。
 パッケージは勿論……。

「わぁ、バオー来訪者のビデオだ」
「そのままジョジョを持ってくるのでは芸がないと思ってね。これならば全1巻だし、続きが気になって困る事もないだろう」
「先生、ありがとうございます。前から見てみたいと思ってたんですよ、ドルド中佐の声が池田さんだって知ってから」
「ふっふっふっ、そのほかにも霞の目博士=永井一郎というお約束な配役もあるぞ」
「にはは、それ凄く楽しみです」
「んにゅ、そんなオタクな話はもういいよ。みちるついていけないもん」

 横から嘴を突っ込んできたのは、美凪の妹のみちるである。一同の中で最年少のみちるには、ベテラン声優の熱い演技から滲み出てくる浪漫はまだまだ理解し難いものがあるのだ。

「はいかみやん、これ、みちるからのプレゼントだよ」

 みちるは笑顔を浮かべて、観鈴に小さな包みを渡す。
 他のプレゼントとは違って丁寧な包装ではなく、子供が無理矢理包装したようなイメージだ。
 包みを解くと、そこにはジッパー型携帯ストラップが出てきた。スタンドはスパイス・ガールである。ゲームセンターの景品になっている奴だ。

「にはは、ありがとうみちるちゃん、嬉しいよ」

 観鈴は笑顔を浮かべ、みちるの頭を撫でる。
 しかし、撫でられているみちるのほうはちょっとだけ申し訳なさそうな表情をした。

「ごめんねかみやん、みちるのお小遣いじゃ、これを取るので精一杯だったから……」
「ううん、わたしは充分嬉しいよ。それに、これにはみちるちゃんの気持ちが入ってるの、分かるから。だからね、ありがとう」

 成績は悪くても頭の回転が悪い訳ではない観鈴には、みちるの気持ちは良く分かっていた。ましてそれが人の「気持ち」に関わる部分であれば尚更だった。観鈴はその感覚が鋭敏なのだ。そうならざるを得ない育ち方をしてきたのだから。
 実のところ、プレゼントの包装を見た瞬間に、観鈴は全てを理解していた。立派な包装を施されたほかのプレゼントに比べて、自分のお粗末な包装しか出来ない、安いプレゼントをみちるは恥ずかしがるだろう。
 しかし、そんな事は問題ではないという事も、観鈴には良く分かっている。要は気持ち、みちるの気持ちが嬉しいのだ。

「それにね、わたしスパイス・ガール好きだから」

 観鈴はそういってにっこりと笑った。つられてみちるも笑顔になる。
 その様子を見て、この場の最年長者である男がうんうんと頷きながら言った。

「観鈴、いい子に育ったなぁ、お父さんは嬉しいぞ」
「あんたがしゃあしゃあと『お父さん』言うな! 観鈴の親はうちだけや! 今日家に上げたったのも情けなんやからな!」
「何を言うんだ晴子、僕はまだ親権を放棄した訳じゃないぞ」
「敬介、あんた往生際が悪いで! うちと観鈴の固い絆を見てまだそないなこと言うか!」
「ま、まあまあ……」

 親馬鹿二人組と、それを止める観鈴という構図はいつものことだ。

「観鈴、これはお父さんからのプレゼントだよ」

 晴子をしれっと無視して、敬介が観鈴にプレゼントを差し出す。「お父さん」の部分に必要以上に力を入れているところが晴子を刺激するのだが、敬介の方はお構いなしだった。

「にはは、ありがとうお父さん。あけてもいいよね?」
「勿論だとも」

 いかに複雑な家庭環境に置かれて育ってきた観鈴と言えども、やはり実の親からのプレゼントとあれば嬉しいものだ。嬉しそうに包装を解いていく観鈴の姿を、晴子は苦り切った表情で見ている。
 とはいえ、実際晴子は敬介が嫌いな訳ではない。むしろコミュニケーションを楽しんでいる節もある。晴子が嫌がるのは観鈴の親だという事を敬介が主張するところであり、また観鈴の奪い合いになるのを、必要以上に恐れているからだ。
 尤も、内心はどうあれ、敬介の方には今更観鈴を扶養家族にするつもりはない。ただ、実の親だという事くらいは主張させてくれてもいいじゃないか、と思っているだけなのだが。

「わっ、ゴージャス☆アイリンの単行本だ。しかも同じのが三冊も」
「はっはっは、どうだい、僕のプレゼントは一味違うだろう。やはり実の親の愛情が一番だよ、血の繋がりがあるからこそ為せるワザだね。仲がいいだけでは分からないものが僕にはわかるのさ、何せ僕の娘だからね。観鈴はただのジョジョ好きじゃないんだよ、年季の入った荒木ファンなのさ。当然デビュー作『武装ポーカー』の収録されたアイリンの単行本は押さえておきたいところだよ。そのあたりの観鈴の微妙な心理が理解できるのは、やっぱり実の親である僕だけだね」
「に、にはは……」

 うっとりとした表情で自画自賛する親馬鹿・敬介に、流石に観鈴も笑顔が引きつっている。一方で晴子の表情はどんどん険しくなり、今や般若と化している。
 まるで自分を揶揄するような敬介の言動に切れかかっているのだ。

「その上保存用、通常用、布教用とニーズに応えた複数冊を揃える心配り。血の繋がった真の親子にしか出来ない……」
「無駄アアアアァァァァ!!」

ズドッ  ドン

 鈍い音が響き渡った。
 ついに我慢の限界に達した晴子が、敬介を拳で殴り飛ばしたのだ。

「ギ、キィイイイイイイコエエエエエエ」

 奇声を上げて敬介は吹っ飛んでいく。
 呆然とその様子を見ている観鈴に、晴子は笑顔を向けながら言った。

「さ、あんなアホは放っておいて、真打ちからのプレゼントや。うちのプレゼントは凄いで〜、腰抜かすで」

 そう言いながら晴子は席を立つと、台所に向かった。そのままエプロンをして料理の態勢に入る。
 同時に一同の頭に疑問符が浮かぶ。

「ちょっと待っとってや、みんな。うちのプレゼントは手が込んでるさかい、少し時間貰うで」

 台所から、一同に向けて晴子が言った。
 この場にいる誰もが、晴子の意図を読み取ることは出来なかった。表面だけ見れば、晴子は出来立ての手料理を観鈴に食べさせる事を目的にしているように見える。
 しかし、そんな単純なものを、胸を張って「プレゼント」と言い張るような晴子ではない。何か企んでいるはずだ。
 15分ほどして、晴子が何かを盛り付けた皿を持ってきた。自信満々と言わんばかりの表情で、晴子はその料理を観鈴の前のちゃぶ台に乗せる。暖かそうな湯気と、食欲をそそる香りが辺りを包む。

「これは……スパゲティー?」
「そうや」

 一同の表情が何ともいえないものになった。
 これではただの手料理に過ぎない、何も「プレゼント」などと称して、特別に作るようなものではない。

「……いや、ちょっと待て」
「なに、往人さん」
「これは……このスパゲティーは………」
「ふっふっふ、居候は気がついたようやな」

 晴子の態度と往人の反応に、一同がもう一度スパゲティーを見やる。
 その表情が、見る見るうちに驚愕に変わっていく。

「仄かに香るニンニクの匂い、にもかかわらず振りかけられたパルメザンチーズ、刻まれたプチトマトにアンチョビフィレ、きわめつけに赤唐辛子。こ、これは……このスパゲティーはッ!」
「ま、まさか、お母さんッ!」
「そうや! これこそジョジョファン垂涎の逸品、ジョジョファンなら必ず一度は食べたいと願う至高のスパゲティー! 名付けて……『娼婦風スパゲティー』や!!」

ドッギャア―――――ン

 まさに晴子にしかできない大技である。単純に手料理を作るというインパクトに加え、ジョジョネタを実生活で実現するという荒業。それを誕生日のプレゼントとして出す心憎さ。
 神尾晴子という人間の懐の深さを示すに充分だ。

「や、やられた……。一本取られたわ」
「……母は強し、ですね」
「うぬぬ〜、何故か敗北感を感じるよぉ」
「ふふ、神尾さんらしいな」
「んに、おいしそう……」
「やるじゃないか、見直したぜ」

 それぞれがそれぞれの表現で、満を持した晴子の必殺プレゼントを称える。とはいえ、ジョジョファンでなければこの感動を理解する事ができないのが、難点と言えば難点なのであるが。
 得意満面鼻高々の晴子は、ちらりと敬介の方に視線をやった。
 敬介はというと、敗北感に打ちひしがれて、地面に視線を落としている。そんな敗北感いっぱいの敬介に、晴子は容赦なく質問を浴びせ掛けた。

「どうや敬介、本当の母親のプレゼントを目の当たりにした気分は?」
「く、くそぅ……、僕だって料理ができれば………」
「んん〜、実にナイスな返事や」

 負け惜しみを呟く敬介と、それをあっさり切り捨てる晴子。

「お母さん……ありがとう………」

 観鈴は涙ぐみながらそう言った。
 母親の手料理が嬉しいというのもあるが、ここ一番での粋な演出と異常な迫力に押し切られたのだ。

「礼なんて言わんでええんや、水臭い。うちら親子やんか。それより、味の方はどうや」

 観鈴は一口、スパゲティーを口にした。
 そして。

「ンまぁ―――――いっ!! 味に目醒めたぁーっ」

 お約束のジョジョネタで返すのであった。




 娼婦風スパゲティーも片付き、後はプレゼントを渡すべき人間は、この場では一人だけになった。観鈴がプレゼントを貰って最も喜ぶであろうその人物は、しかし一方では全く金銭に余裕はなかった。
 そんな事実には全く目を向けずに、観鈴は満面の笑顔で、期待に満ちた瞳を往人に向けている。

「あー、こほん。観鈴、まずは、言っておきたい事があるんだ」
「なに? なに?」
「俺もプレゼントを渡したいと思ってはいた。しかしだ、財政事情がそれを許してくれなくてな。形が残るものを用意してやる事ができなかった」
「え……」

 観鈴の表情が曇った。
 当たり前だ。一番プレゼントを渡して欲しいと思っていた人が、プレゼントを用意していなかったのだ。
 観鈴でなくともがっかりするだろう。

「だからな、観鈴。俺はおまえだけのための、特別な人形劇を披露する事でプレゼントにしようと思う」
「え、それって……」

 曇りかけていた観鈴の表情が、再び明るくなった。

「俺なりのプレゼントだ。受け取ってくれるか?」
「うんっ、勿論!」

 観鈴は嬉しそうに、これ以上ないほどの笑顔で頷いた。
 その笑顔を見慣れているはずの往人でさえ、眩しく感じられるものだった。

「さて、それじゃ早速始めるとしようか」

 往人が念を込めると、ひょこっ、と人形が立ちあがる。お得意の法術人形劇だ。
 しかし、この日の人形劇はいつものものとはまるで違っていた。まず人形の姿からして違う。時代劇にでも出てきそうな、随分古い侍の格好をしている。更に、この日の劇には往人のナレーションと声の演技がついていた。

「今を遡る事1000年とちょっと前。1人の侍がいた。その名前は柳也といった」

 ひょこひょことコミカルに歩きまわる侍人形。時々こけたり、両手を伸ばして欠伸をしたりと、かつての往人の人形劇からは考えられないほど、それは多彩に動きまわっている。

「とある因縁で、柳也は翼人という種族の少女の警護をする事になった。翼人の少女、その名を神奈といった」

 往人がナレーションに合わせて、もう一体、背中に翼が生えた人形を取り出した。その人形は、侍の姿をした人形と同じく、手を触れずとも動きまわっている。

「わ、凄い……」
「当たり前だ、複数の人形を動かす練習をしたからな」
「往人さん、レベルアップ?」
「疑問形で言うな。これは指先からの一点集中法術を身につけた結果だ。それより続けるぞ?」

 

※               ※               ※

 

「神奈、母親に逢いたいか?」
「余は……」
「意地を張るな神奈、逢いたいのならそう言えばいいんだ。俺は忠臣だからな、お前の望みは必ず叶えてやる」
「ならば……余はおぬしに命ずる、余を母上のところまで案内せよ」
「よかろう、かなえよう。Hail 2 You(君に幸あれ)!」

 彼らの道連れとして、不思議な女官が加わった。いつも神奈の世話を焼いていた、裏葉という女性だ。彼女もまた、神奈という少女の魅力に惹かれ、旅の共を申し出たのだ。

「やはり母親探しですか……いつ出発します? 私も同行しましょう」
「同行するだと? なぜ? おまえが?」
「そこんところですが…なぜ…同行したくなったのかは私にもよくわからないんですがね…」

 こうして翼人・神奈の母親を求める旅は始まった。
 人目を憚り、夜中に秘密裏のうちに殿中を抜け出し山中へと走る三人。
 しかし、その出立は最初から既にに波瀾の幕開けであり、巨大な陰謀が三人を待ち構えていたのである。神奈の住居として当てられていた社殿は、神奈たちの出立後僅か一刻で灰燼の中に崩れ去る。
 そして、当然のように三人には追っ手がかかる。柳也の活躍により、追っ手の目は晦ますことができた。そして、追っ手のうちの一人を捕える事に成功する柳也。柳也は有益な情報を引き出すべく、追っ手を尋問する。

「ここよ…泥水がズイブンぶっかかるみたいだけど顔についてんの、それ……ゴミかな? それとも枯葉の切れっぱしかな…………? 枯葉のようにも見えるし………紙かなんかの切れっ端にも見えるな…」
「ハアー、ハアー」
「うーむ、もしゴミなら心の痛むことだぜ、この美しい山が汚れているってことだからな! とってよく見てもいいかい? それ?」
「ハアー、ハアー、ハアー」
「なあ〜〜〜〜〜〜〜〜おい………、取って見てもいいかどうか聞いてるんだ…。それぐらい答えろよなあ〜〜〜〜〜〜てめ――――――」

 苛烈な尋問は、やがて拷問に近い趣を帯びてくる。
 柳也としてはここで情報を引き出さない訳にはいかなかったのだ、これからの長い旅のことを考えると。

「ゥんがァアアア―――――アァッ!」
「追ってくる仲間の『名前』と『黒幕』を答えねーっつーんならよォ〜〜〜ッ、もう片方の目の心配もしていた方がいいなあああ〜〜〜」

 やがて男は、知っている情報のすべてを柳也に話した。
 全ての情報を仕入れてしまえば、後は柳也が為すべき事は一つだけだった。男の口を完全に封じるべく、柳也の刀が月光に煌き、鈍い光を闇の中に放つ。

「ナーアアアアァァァァァァァァ」

 恐怖に震える男。柳也はこの男に「知っている事を話せば命だけは助ける」と言っておいたのだ。その約束を、今、柳也はいとも簡単に覆そうとしていた。

「さっき、ぜ…全部話せば…な…にもしないって、い…言ったくせに…………」
「自分を知れ…そんなオイシイ話が…………あると思うのか? おまえのような名無しの脇役に」

 そんな柳也を、神奈は激しく叱りつけた。不満はあったが柳也は刃を収める。
 そして交される不殺の誓い。
 新たな約束を胸に、神奈母親探し御一行様は南を目指す。

 

 

 山中を南に向かって歩く一行。頼るのは、柳也がかつて聞いた事がある噂話だけだった。
 野宿を繰り返し、道なき道を突き進んでいく一行。目立つ装束を捨て、近隣の村から失敬してきた粗末な着物に着替えての隠密行動。三人で寄り添いながらの行動に、いつしか家族の幻想を重ねていく。

「こうして三人で身を寄せ合っておりますとまるで……」
「まるで弟子からの手紙を受け取って、風の騎士たちの町に巣食う吸血ゾンビィを片付けにチベットからやって来た波紋使いみたいだな」
「大層風雅な例えでございますわね」

 山中で過ごす緊迫した日々の中にも安らぎを見つける一同。そして、生まれて始めて手にした玩具に心を奪われる神奈。昼夜を問わず遊びに夢中になるその姿は、普通の村娘となにも変わらない。
 不器用な彼女が始めて夢中になった遊び、それはお手玉だった。
 しかし、不器用であるがゆえに、彼女のお手玉は決して成功しない。何度挑戦しても、お手玉は回る事はなかった。

ドス

 激昂した神奈は、突然自分の小指に筆を突き刺した。
 痛みに耐え、冷や汗を流しながら、神奈はお手玉を睨みつけ言った。

「おぬしは何か『イカサマ』をしている………方法はわからんがなんらかの『イカサマ』をしている………。ゆるせん、その方法がわからない所がゆるせん!」
「なんなんだよォ〜〜〜〜〜〜〜ッ!? 神奈!? おめーっ、頭おかしいぞ! 何やってんだよッ!!?」
「ムカつくやつだ…。今までは『柳也どの』や『裏葉』に免じておぬしに対する怒りをおさえてやっていたが、おぬしは今…この神奈をコケにしようとしている。おぬしが心の中でほくそ笑んでいるのかと思うとガマンならん………………」
「つーかお手玉相手にムキになってどうする……」
「きさま程度のスカタンにこの神奈備命がなめられてたまるかァ―――ッ!!!」

 こうして、神奈の旅の日課が一つ増えた。

 

 

 目的地も無いまま、風の噂のみを頼りに南へ向かう一行。途中で「市」に寄ったり、村祭りを遠目で覗いたり、様々なことがあった。
 何もかもが初体験の神奈は、その全ての事柄が珍しかった。はしゃいだり落ちこんだり怒ったり笑ったり、様々な表情を見せる神奈は、翼人の娘などという肩書きを持たない、歳相応の娘に過ぎなかった。
 そんなある日、神奈の話から、神奈の母親は高野山に幽閉されている事が判明した。
 悪鬼と恐れられ疎まれながら、ただ力を欲する強欲な人間たちに利用されながら生き長らえてきた、神奈の母。そんな彼女との対面を望む神奈の願いを叶えるため、一同は高野山に入った。結界に惑わされ、なかなか高野の山に入れない一同。
 しかし、裏葉の勘の前にはその幻惑も長くは持たなかった。高野の山に踏み入れた一堂の前に、僧兵隊が立ちはだかる。

「高野山に入れてなるかーッ この野郎―――――ッ!!」
「HUOHAHHHHHHHHHH――――――ッ!!」
「COOOOOOOOOOO―――――――――――ッ!!」

ドッガーン

「ぐああああう!!」
「どけいィ。おまえは最初から負け犬ムードだったのだ」

 柳也の峰撃ちが炸裂する。不殺の誓いを守るため、敢えて不利な戦いに挑む柳也。難敵を排除した柳也の一瞬の隙を突いて、僧兵の死角からの攻撃が柳也の背中を抉った。

「ヌウウッ!」
「フフ……ほ…法術入りの薙刀の刃は、い、痛か……ろう………フッ」
「よ…よくも! よくも おれの背中に疵をつけたなァ……………! ヌヌヌ…………」

 傷ついた柳也を、尚も襲う僧兵。
 しかし、柳也の根性と技術は、既に肉体の限界を上回っていた。

「カエルの小便よりも……………下衆な! 下衆な法術なんぞをよくも! よくもこのおれに! いい気になるなよ! KUAA! てめえら全員! 峰撃ちのエサだ! 青ちょびた面をエサとしてやるぜッ!」

 切れた柳也によって、僧兵は撃退された。だが、柳也も体力を使い切り、不覚にも気を失ってしまう事になった。
 疲れ切って倒れた柳也を安全な場所まで運び介抱したのは、残された二人の女性だった。二人が運んでくれた泉の傍で、漸く意識を取り戻す柳也。張り詰めていた気が途切れると共に、体が利かなくなっていることを思い知らされる。
 そんな柳也に、神奈は仄かな思いを告白する。

「柳也どの、思い切っていうぞ。余は、柳也どののこと好きなのだ」
「えッ?」
「余のような骨ばった少女、嫌いだろうな?」
「え? 骨ばっただなんて……そんなこと……ないけど(そう言ったのは俺だが)」
「余のこと、嫌いか?」
「え? あ…あの、嫌いって? いきなり、そ…そんなことは……ないが」
「好きか?」
「え! ちょっと待って…そうじゃなくて…まだ そのなんていうか突然、好きだとか嫌いだとか…は」
「やっぱり嫌いなのだな」
「え? 違うぞ だから、イキなりそんなこと聞かれても…」
「どっちだ!? 余のこと! 愛しておるのか!? 愛しておらぬのか!? さっさと答えよっ! こんなに言っておるのに!!」

 裏葉の陰謀による甘い(?)時間も終わり、一同は揃って神奈の母の元へと急いだ。神奈の母は八百比丘尼と呼ばれ、神仙のごとく神秘に溢れた存在とされていた。
 しかし、その扱いたるや、罪人の方がまだマシだと言うほど酷いものであった。長い幽閉の果てに脚の力を失いかけ、立つこともままならないほどに衰弱してしまった八百比丘尼。その母は、しかし、神奈に支えられることを拒んだ。自分に我が子が触れることを拒み、触合いを拒絶するかのように振舞う八百比丘尼。
 彼女は、自分にかけられている呪いを我が子に移したくないがために、そのような態度を取っていたのだ。そして彼女は、自らの身を捨てて我が子を逃す道を選んだ。
 折悪しく高野を襲った武士団の矢を受け、倒れ果てる八百比丘尼。だが、武士団は真の力を解放した八百比丘尼によって、あっさりと退けられた。そしてそれは、彼女の命の炎が燃え尽きようとしていることを意味した。
 幾ばくも残されていない命で、最期に彼女は我が子・神奈との親子の時間を過ごしたのだ。しかし、そのために、娘の神奈は呪いを引き継ぎ、重たい宿命をも背負ってしまったのだ。

「悪くないですよ神奈……娘の腕の中で死んでいくと…………いう………のは」
「ははうえ――――――――――ッ!!」
「う…う…あの甘さです! あのやさしさは、幸せな記憶を星に返すどころか……こんな不幸な結果を招いてしまいました………。間違いだったんです! 死んでしまったらおしまいです!」
「ちがうッ! あの母上の精神は……………………娘の神奈・備命が立派に受け継いでいる! それは彼女の強い意思となり 誇りとなり 未来となるだろうぜッ!! (ふつう おれは自分が困るとすぐ泣きぬかす甘ちゃんはだいっきらいだがよォ! この親子はちがう、自分たちのしたことを後悔しない最高の大甘ちゃんだぜ!)」

 高野の山を下り、人里離れた土地まで逃げようとする一行。
 だが、武士団の追撃は激烈を極め、一行は逃げ道どころかろくに山を下ることすらできず、追い詰められていく。動けない柳也と、戦うことのできない女性二人、これでは逃げ切ることなど到底不可能だ。
 柳也と裏葉は、神奈だけでも逃がすことを決意し、追撃してくる武士団の中に飛び込もうとする。
 だが、それを制したのは、神奈であった。神奈は二人の決意を敏感に感じ取っていた。そして、その二人を無事に逃がすために、自らが命を捨てて囮となることを選んだのだ。

「神奈きさま―――――っ」
「フフフ、人間の偉大さは ―恐怖に耐える誇り高き姿にある― ギリシアの史家プルタルコスの言葉よ。フフフ さらばだ、いまいましい随人野郎…」
「やめろ! 話はまだ半分だぜ――――っ!!」

ドゴーン

 神奈の法術が炸裂し、追っ手の武士団はいとも簡単に壊滅していく。
 しかし、大勢の追っ手の前にその姿を晒した神奈が無事で済む訳もない。反撃を受け、天に上り消えていく神奈。その姿を見ながら、裏葉と柳也は必死で逃げるしかなかった。

「ちくしょう――――――ッ このヘッポコ翼人め、かっこつけやがって〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

 

 柳也と裏葉は当ても無くさ迷い歩き続けていた。自分たちを歴史から抹殺し、仮にとはいえ、家族の一員だった神奈に苦痛を与えて消し去った連中を憎む柳也。
 一方、裏葉はもっと前向きだった。神奈がこの世から消えたのではないと信じる裏葉は、神奈を助けるための手掛かりを探していた。
 二人が国中をさ迷い歩くうちに、二人の前に光を失った老法師が姿を現した。
 その老人は、自分を知徳法師と名乗った。

「ち……知徳法師」
「よろし―――く…………。ところで……神奈備命はどこかな?」

 柳也と裏葉は、知徳法師の元で厄介になることとなった。知徳法師は翼人事情に明るく、またその存在を先入観無しに、中庸に捉えることができる人だった。人柄も温かく、二人はここに長く居着くことになった。
 裏葉は知徳法師より法術を学び、僅かのうちに師を上回る程の成長を見せた。柳也は少しでも翼人のことを伝えるべく、始めから歴史の影に埋もれるべき書物を書き溜めていった。
 そうしてある日、二人は神奈の魂が未だに空に捕らえられていることを知った。
 翼人の定めとして、神奈は幸せな記憶を持って星に帰らなければならない筈なのに、悲しく辛く、孤独な記憶を繰り返しながら、未だに空に捕えられているのだ。
 神奈を助けたいと願う二人。
 しかし、神奈を助けるには、あまりにも沢山の時間を必要としている。翻って自分達を見るに、柳也の体は既に歩行すらままならず、死期が確実に、足音が聞こえるほどの距離まで迫っていた。
 絶望の中に陥りそうになる柳也に、裏葉はある提案をする。二人で子を作り、その子に全てを託そうと。


 時間は流れ、もうすぐ柳也の時間は停止しようとしていた。
 空は晴れ、澄み切っている。
 どこまでも高く、蒼く、遥かに遠く続いていく空のどこかに、神奈はいる。
 そして地上には、そんな空を見上げる柳也と、子を宿し、出産も間近となった裏葉がいた。
 寄り添いながら最期の時をゆっくりと刻む二人。
 やがて柳也は、裏葉の子宮に居る我が子に自らの心を伝えるように、裏葉の腹に頭を寄せた。
 決して姿を見ることは無いであろう我が子に、全てを伝えようとするように………。

「メッ…セージ……だ……。これが…せい…いっぱい…だ 我が子…よ 受け取って…くれ…伝わって………くれ……………………」



     柳也は

     風になった―――――

     裏葉が無意識のうちに

     とっていたのは

     「敬礼」の姿であった

     ―――――――――――――

     涙は流さなかったが

     無言の鳥の詩があった―――

     奇妙な愛情があった――――

 

※                ※               ※

 

 宴が終わった夜というのは、熱が冷めてしまったようで、一抹の寂しさだけが残る。それはどんな馬鹿騒ぎであっても同じであって―――いや、馬鹿騒ぎであったればこそ、寂しさを増すものかもしれない。
 観鈴の誕生会は既に終わり、珍しく賑わっていた神尾家も、今は元の三人だけに戻っている。
 晴子は昼間から飲んだくれたお陰で強かに酔いつぶれ、自室で深い眠りに落ちていた。往人が座っている縁側まで、人柄に見合った豪快な晴子の鼾が響いてくる。まだ若いと主張するならもうちょっと慎みを持てよ、と往人は苦笑しつつ内心で突っ込みを入れた。

「往人さん」
「……観鈴か」

 網戸を隔てた居間から聞こえた声に、往人は振りかえらずに答える。
 しかし、その声も表情も何か柔らかさを持っていた。

「隣、いいよね?」

 そう言うと、観鈴は縁側まで出てきて、返事も聞かないまま往人の隣に腰を下ろした。往人も何もいう事はない。
 静かな空気が流れ、虫の声が響いていた。時折晴子の鼾が混ざるのが風情を失わせるが。夏の夜は満天の星の輝きで満たされ、暗闇にはうっすらと影ができているのがわかった。夜はこんなにも明るい。

「往人さん、あの人形劇、あれってわたしの記憶と同じ」
「そっか」
「にはは、細かいところは違ってたけどね」
「はは、そりゃそうだろうな」

 二人は暫く無言になる。
 並んで座る二人の前髪を、風が揺らしていった。

「これで終わったんだね……高野にはみんなが貸していたんだよね。千年前から大勢の人間が…あらゆるものを貸していたんだよね」
「戻って来ねえものが…多すぎるがな…」
「うん、多すぎるね……そして大きすぎるよ…。わたしたちの失ったものはこの地球にも匹敵するほど大きいよね…。でも…彼らのおかげだよ…。彼らのおかげで、わたしたちは生きているんだよ…」



     柳也!

     裏葉!

     神奈!

     終わったよ

     ……



「観鈴」
「なに?」
「改めて言うけど、誕生日、おめでとう」
「うんっ、ありがとうっ」


後書きを読む

ここから戦略的撤退を行う